文化2年(1802年)の古地図 現在の道(右図参照)と符合している。御蔵屋敷と書かれたところにかつての加賀藩の米蔵があった。古地図での「庄川」は現在の小矢部川のことである。

吉久について


高岡市吉久は高岡市の北部に位置し、小矢部川と庄川にの河口近くにあります。地元では「よっさ」と呼んでいます。17世紀中ごろに加賀藩の御蔵が置かれ、小矢部川や庄川を下って運ばれる年貢米が御蔵に収められたあと、大阪などへ伏木の港より運び出されていました。そして明治維新以降の吉久は殖産興業の進展による伏木港の発展とともにそれに関わる人々が多く居住するようになりました。
藩政時代のまちなみの様子は伺い知ることはできませんが、旧放生津往来に沿って明治初期から大正、昭和初期にかけて伝統工法で建てられた町家が並び、往時の面影を残すしつらえは高く評価を受けているもので、住民にとっても誇りと思えるものです。
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