旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)

<第1日目>
倶利伽羅峠〜砂坂一里塚〜砂川一里塚〜石動駅

富山県の旧北陸道観光は、
JR倶利伽羅駅(石川県津幡町)からスタートするのがオススメです。

自動車を利用されるかたはJR石動駅前の小矢部市営駐車場にクルマをとめて
JR北陸線を利用してJR倶利伽羅駅まで移動します。


インターネット上には自転車で旧北陸道を走り、紹介されていらっしゃるかたが
たくさんいらっしゃいますが時間に余裕があれば歩いてみるのもいいでしょう。

昔の旅人と同じ速度で歩くことで、古人の気持ちに触れることができます。
自転車では見えなくて、歩いて初めて見えてくる景色があります。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(JR倶利伽羅駅)

所要時間は、史跡を見物しながらゆっくり散策した方がよいので
5〜6時間程度を見ておけば良いと思います。
(一里塚約3つ分の距離ですので
頑張れば3時間程度で歩ける筈です。)

持ち物は、道の駅倶利伽羅源平の郷・竹橋口(石川県津幡町)または
倶利伽羅源平の郷 埴生口(富山県小矢部市)で
無料入手できる観光案内マップと、お弁当と水筒があればOKです。

観光案内マップの代わりに
国土地理院発行の2万5000分の1の地図(倶利伽羅)でもOKです。


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(歴史国道案内板・竹橋地内)

写真は竹橋(たけのはし)の集落内です。

ルートのところどころには写真のような「歴史国道」と書かれた案内板が
設置されています。
ですが、分かれ道の全てに案内板があるわけではないので
マップは必ず持っていきましょう。


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(竹橋・蛙の置き物)

竹橋(たけのはし)の集落の家々の玄関先には「蛙の置き物」が置いてあります。

何か旧北陸道の伝説に関係するのかと思い
地元の人に質問してみましたが、伝説とは関係ないそうです。
「無事に家に帰る(蛙)」という意味だそうで、
何年か前にボランティア団体が配っていらっしゃったとのことでした。


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(前坂権現)

「急とも 拝んで通れ 神の前」

道中には、神様、仏様、お地蔵様などがたくさんあります。


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(龍ケ峰城跡)

北陸道を直下に見下ろす交通の要衝に築かれた城です。
一向一揆勢や、上杉謙信、佐々成政らも使用したそうです。

龍ケ峰城の本丸で休憩を取りました。
本丸からは眺望もなかなかのもので平野部まで一望することができました。

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(倶利伽羅峠)

加賀国と越中国との国境、倶利伽羅峠に着きました。
倶利伽羅峠周辺には史跡や、有名歌人の句碑など
見どころがたくさんあります。


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(倶利伽羅峠・砺波山源平古戦場)

寿永2年(1183)、木曽義仲率いる源氏軍と、
平維盛を大将とした平家軍とが激突した砺波山源平古戦場です。


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(倶利伽羅峠・火牛の計)

牛の角にたいまつをつけて平家軍を奇襲したという
有名な「火牛の計」をモチーフとした銅像です。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)

倶利伽羅峠周辺は春の八重桜も見事です。
毎年ゴールデンウィークの頃が見ごろとなります。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(源氏軍の白旗)

山の向こうに源氏の軍勢の白旗が見えます。

大変です!いつのまにか私たち平家軍は
源氏の軍勢の包囲されてしまっているようです。

・・・なかなか凝った演出ですね。


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(地獄谷)

周囲を敵に囲まれた平家軍で落ちていったといわれる地獄谷です。

このサイズの白い案内板は道の途中でよくみかけますが
小矢部市のボランティア団体が設置しているそうです。
私たち高岡市民もこの精神を見習いたいと思います。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(砂坂一里塚跡)

現在「砂坂地蔵」の案内板が立てられている地点が
北陸道一里塚・砂坂一里塚があった場所です。

(1) 当地方の一里塚跡にはお地蔵様がつくられることが多い。
(2) 「富山県歴史の道調査報告書・北陸街道
   (昭和55年 富山県教育委員会)」でも
   この場所が一里塚跡であると推定されている。
(3) ちょうど道脇に清水が湧き出ているので、
   旅人の道案内を目的とした一里塚の場所として適していた。

などがその根拠です。
昭和55年頃まで、ここには人工的な巨石が置かれていた
とのことです。

現在、砂坂地蔵の案内板には別の由来が書かれていますが
当初は一里塚跡を表す意味が込められていた筈です。

この後、他の一里塚跡を紹介していきますが、
北陸道を通行する人が多かった時代に
加賀のお殿様さまが折角築かれた一里塚跡にお地蔵様を置かない
ということは考えにくいように思います。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(塔の橋)

源平合戦の折、平家軍の武将・平行盛が布陣した場所だそうです。
平家軍の赤旗がはためいています。


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(峠の茶屋跡)

天池家、森井家という2軒の茶屋がこの場所で営業していたそうです。
現在は、当時の2軒の茶屋の写真が掲示してあります。

昭和18年頃から30年頃までは、この道は買い出し道路として
たくさんの人たちが往来していたたそうです。

現在はほとんど誰も通らないこの道が、
ほんの数十年前までは生活道路として多くの人で賑わっていたなんて
不思議な感じがします。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(鬱蒼とした旧北陸道)

写真のように、進んでも進んでも青い山道が続きます。

ですが、整備されていますので歩きづらいことはありません。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(木曽義仲像)

埴生護国八幡宮の手前には巨大な木曽義仲像が建てられています。

木曽義仲は倶利伽羅峠での平家軍との決戦を前にして、
埴生の八幡宮に戦勝を祈願しました。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(倶利伽羅源平の郷 埴生口)

木曽義仲像の横にある「倶利伽羅源平の郷 埴生口」です。
旧北陸道、源平合戦に関する資料や、
その他様々な資料が展示されています。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(鳩清水)

木曽義仲が埴生八幡宮へ祈願した際に白鳩が飛んできて
この湧水を得たという伝承から「鳩清水」と呼ばれているそうです。


旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(埴生護国八幡宮)

この長い石段の上に埴生護国八幡宮の社殿があります。

木曽義仲の時代には「埴生八幡宮」と呼ばれていましたが、
江戸時代に前田利長公がこの神社に豊作を祈願された際
霊験がいちじるしかったため「護国」と付いたそうです。


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(砂川一里塚跡)

2番目の北陸道一里塚・砂川一里塚跡です。

「砂川」は地名ではなく川の名前です。

すぐそば(写真右側)で北陸新幹線の工事が進められていました。


一里塚は街道の両側に土を盛って(=一里山ともいう)つくられますが、
当地のものは、2つの一里山が街道と川を挟んで築かれた
大変珍しい一里塚でした。

写真の地点の南側には砂川という川が流れています。
この川を挟み、北西側と南東側にそれぞれ一里山がありました。


昔はこの砂川を挟んで北側が「後谷(うしろだに)村」、
南側が「野端(のばな)村」でした。

一里山の片方は後谷村に、もう片方は野端村にありました。

街道の要所であることを示す六体のお地蔵様(六地蔵)
が建てられている側が旧後谷村です。