旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)


旧北陸道を歩こう

 戸出町内を東西に走るメインストリートは、
   江戸時代初期までは北陸道として栄えた「越中のメインストリート」でした。
   戦国時代には多くの武将らもこの道を通りました。
 
 高岡開町(慶長16年(1611))以降、北陸道は「今石動〜戸出〜富山」から
   「今石動〜高岡〜富山」へと変更されましたが、戸出経由ルートは
   江戸時代中期までは高岡経由ルートよりも道幅が広く整備されていたようです。
 
 その後も1時間ほどの行程短縮となる戸出経由ルートは
   旅路を急ぐ旅人らの多くが行き交い、戸出は宿場町としても賑わいました。
 
 戸出を経由するルートは、慶長7年(1602)に前田利長が
   日本で初めて参勤交代を行った際に通った道であるともいわれ、
   加賀藩主・前田利常によって北陸道一里塚が築かれていたこともあって
   街道ファンなどに人気の高いルートです。

 このページでは、高岡市戸出を中心とした旧北陸道の魅力を紹介していきます。
 

富山県内の北陸道一里塚

  慶長9年(1604)、徳川幕府の命によって
  北陸道、東海道、東山道の3道に一里塚が設置されていきました。

  富山県内の一里塚は加賀藩によって整備され、
  以下の23地点に設置されていました。

 (1) 砂坂(小矢部市)
 (2) 砂川 (小矢部市)
 (3) 芹川(小矢部市)
 (4) 矢部(高岡市福岡町矢部)
 (5) 中ノ宮(高岡市戸出町)
 (6) 常国(高岡市常国)
 (7) 生源寺(射水市)
 (8) 黒河(射水市)
 (9) 吉作(富山市)
 (10) 愛宕(富山市)
 (11) 町新庄(富山市)
 (12) 西水橋 (富山市)
 (13) 東水橋(富山市)
 (14) 坪川(滑川市)
 (15) 東川越(滑川市または魚津市)
 (16) 上村木(魚津市)
 (17) 田家(黒部市)
 (18) 沓掛(黒部市)
 (19) 柴垣(入善町)
 (20) 君嶋(入善町)
 (21) 赤川(入善町または朝日町)
 (22) 宮崎(朝日町)
 (23) 境(朝日町)

 このページでは、富山県西部の高岡広域圏にあたる
  加賀国境(今の石川県境;倶利伽羅峠)
    〜砂坂一里塚
      〜高岡市戸出
        〜常国一里塚
          〜弓の清水(木曽義仲にまつわる史跡;高岡市常国)
 までを紹介します。
3日間かけて歩けばちょうど良い行程ですので、3つの区間に分けて紹介します。



戸出町観光ボランティア申し込み

<第1日目>
倶利伽羅峠〜砂坂一里塚〜砂川一里塚〜石動駅

富山県の旧北陸道観光は、
JR倶利伽羅駅(石川県津幡町)からスタートするのがオススメです。

自動車を利用されるかたはJR石動駅前の小矢部市営駐車場にクルマをとめて
JR北陸線を利用してJR倶利伽羅駅まで移動します。


インターネット上には自転車で旧北陸道を走り、紹介されていらっしゃるかたが
たくさんいらっしゃいますが時間に余裕があれば歩いてみるのもいいでしょう。

昔の旅人と同じ速度で歩くことで、古人の気持ちに触れることができます。
自転車では見えなくて、歩いて初めて見えてくる景色があります。


↓↓詳細はこちらから↓↓↓
旧北陸道コース・第1日目(JR倶利伽羅駅〜JR石動駅)

<第2日目>
石動駅〜芹川一里塚〜中ノ宮一里塚〜戸出駅

富山県の旧北陸道観光2日目は、
JR石動駅(小矢部市)からスタートします。

2日目はJR石動駅からJR戸出駅までの
一里塚4箇所(砂川、芹川、矢部、中ノ宮)分を歩きます。
やはり5時間程度の時間を見ておけばよいでしょう。

自動車を利用されるかたはJR戸出市街地周辺にクルマをとめておきましょう。

持ち物として、国土地理院発行の2万5000分の1の地図(戸出)を
事前に買いましょう。

石動市街地は、
石動町→中央町→(商工会前交差点で右折)→新富町→今石動町→
西福町→東福町→芹川のルートが江戸時代の北陸道だと思います。

このあたりのルートは今後もう少し勉強していきたいと思っています。

(このあたりには、古く味わいある街並みが富山県西部最大の規模で
 残されているそうです。近日中に訪れて本ページに加筆致します。)

旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(地理調査所発行の地図<昭和30年>)

赤線が引いてあるところが江戸時代の北陸道です。
(クリックで拡大します)

芹川→地崎→柳川→木舟→開→棒野→矢部→夏住→横越→油屋
の各集落を通って戸出町市街へ通じるルートです。
夏住〜戸出市街入口まではほぼ富山県道9号線と重なります。


↓↓詳細はこちらから↓↓↓
旧北陸道コース・第2日目(JR石動駅〜JR戸出駅)

<第3日目>
戸出駅〜常国一里塚〜弓の清水

富山県の旧北陸道観光3日目はJR戸出駅(高岡市)からスタートし、
史跡・弓の清水(ゆみのしょうず)までを歩きます。

弓の清水には、加越能バスと射水市コミュニティバスの
2つのバス停がありますが運行経路的に戸出町への行きづらく、
運行本数も少ないため、また戸出⇔弓の清水間は距離も短いので
徒歩での往復をここではオススメします。
(お時間に余裕のあるかたは弓の清水駐車場にクルマを止めて
バスとJRを乗り継いでスタート地点の戸出駅へお越しください。)

往路は名所旧跡を見学しながら3時間、帰路は1時間、
合計4時間程度を見ておきましょう。

持ち物として、国土地理院発行の2万5000分の1の地図を2枚
(「戸出」と「高岡」)を買いましょう。
 
 
↓↓詳細はこちらから↓↓↓
旧北陸道コース・第3日目(JR戸出駅〜史跡 弓の清水)

平安時代の北陸道

 平安時代に木曽義仲が通った頃の北陸道は江戸時代よりも
やや南側を通っていた、と私は考えています。
 
旧北陸道(江戸時代ルートと平安時代ルート)
 
地図上の赤色のルートが江戸時代(初期)の北陸道、そして
ピンク色が平安時代(後期)の北陸道だったと推測されるルートです。
 
  ( 平安時代の頃はピンク色のルートも利用されましたが )
  ( 富山湾沿いのルート〈浜街道〉のほうが主たる北陸道だったようです。 )
  ( 平安時代中期に編纂された延喜式には北陸道として )
  ( 富山湾沿いルートらしき記録が残っています。 )
 
 
ピンク色のルートは、
木曽軍物見が隠れていた跡の石碑(小矢部市柳原)、
川田八幡宮(砺波市高波・西宮森)、
午飯岡(ひるがおか)(砺波市小島)、
といった木曽義仲にまつわる史跡と、
高岡市是戸地区で最も歴史が古いといわれている戸出放寺
地名の由来が「その昔北陸道が通っていた頃に大きな川が南北に流れていて
『行きかねた』から」と伝えられる戸出行兼
高岡市北般若地区で最も歴史が古いといわれている戸出吉住
を結んだものです。

砺波平野に城や町がなかった平安時代には、
倶利伽羅峠−呉羽山(呉服山)を最短距離で結ぶピンク色のルートで
利用されていたと考えます。

時代を下って、木舟城や今石動城が築かれると、
その城下町を経由する赤色のルートへ変わっていったのではないでしょうか。

また、戸出町は庄川扇状地の扇端部(湧水帯)にあたります。
戸出より北側は道が整備しにくい湿地帯であったこと、
戸出近辺には旅人の喉元を潤す湧水が多くあったこと、
なども北陸道のルート成立に影響を与えたでしょう。

(今でも、乾田灌漑地帯だった旧北陸道の南側には散居村が見られますが
湿田地帯だった北側には散居村は見られません。)


小矢部市柳原・木曽軍物見が隠れていた跡の石碑;旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(木曽軍物見が隠れていた跡の石碑;小矢部市柳原)

義仲軍はここで兵を一旦休ませ、
平家軍の動静を調べるために偵察を放ったそうです。

石碑は、現在の富山県道9号線(富山戸出小矢部線)沿いにあります。
平安時代、ここが北陸道だったのかもしれません。


川田八幡宮;旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(川田八幡宮;砺波市高波、西宮森地区)

川田八幡宮;旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(川田八幡宮)

午飯岡で昼食を取ったあと、木曽義仲はこの川田八幡宮で
これから臨む平家軍との一戦の戦勝を祈願したとの伝承が残っています。

木曽義仲は行軍の途中、源氏と縁ある各地の八幡宮で戦勝祈願を行いながら
兵を進めていったといわれています。

午飯岡;旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(午飯岡の石碑;砺波市小島)

午飯岡;旧北陸道を歩く(富山県高岡市戸出町)
(午飯岡の解説文)

倶利伽羅峠へ向かう途中、木曽義仲の軍勢はここで
進軍を一旦止めて昼食を取ったそうでうす。


当時、北陸道は戸出放寺では市姫社のあたりにあったことでしょう。
今でも市姫社南側にある道をまっすぐ西に進めば午飯岡に着きます。

また戸出吉住では熊野神社、八幡宮のあたりを通っていたと思われます。

木曽義仲は倶梨伽羅合戦への進軍途中、
どの神社かは不明ですが戸出近辺の神社でも戦勝を祈願した、
というお話を郷土史家の方から伺いました。
それが吉住の八幡宮なのかもしれません。
(これから調べていきたいと思っています。)

日本では、新しく村を立てるときに神社が招魂されますが
それぞれの時代により招魂される神様が異なります。
(神様にも流行があるんですね。)

当地方においては、
神明社(神明宮)と呼ばれる神社がある集落の
ほとんどが江戸時代につくられた集落で、
それ以外が安土桃山時代以前からある集落です。
 
 
戸出町には木曽義仲が駒を繋いだ
という「駒繋ぎの松」という伝承もありますが、
大正時代に書かれた「戸出史料」に載っていないことから
昭和以降の広まった比較的新しい伝承である気がします。
位置的にも少々北すぎる気がします。
(もちろん本当に駒繋ぎの松あたり北陸道が通っていて
木曽義仲が当地で馬を繋いでいた可能性は否定できません。)
 
同じく「大清水村の娘が木曽義仲を馬ごと投げ飛ばした。」
という伝承も比較的新しいもののような気がします。
 
 
小矢部市柳原にある「木曽軍物見が隠れていた跡の石碑」も
北に寄り過ぎている気がしますが
当時の北陸道は曲がりくねっていたのかもしれません。
また、もしかするとこの石碑は北陸道上にはなく、
木曽義仲が戦術上の理由で北陸道を外れ
脇道を通った際の史跡である可能性もあります。


このページでは街道の呼称を、
慶長(江戸時代初期)より前の事象にまつわる場合は「北陸道」、
慶長以降の事象にまつわる場合は「旧北陸道」を書き分けました。

拙文の為、わかりにくい個所があるかもしれませんがご容赦願います。

参考

リンク集
富山の一里塚


参考文献
戸出史料(1919年)
戸出町史(1972年)
建築家・吉田鉄郎の手紙(鹿島出版会、1987年)
お地蔵さまと戸出公園(吉田彦夫、2000年)
戸出を語る石仏石碑(戸出を知る会、2004年)



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