『戸出の400年〜発展のあゆみ〜』企画展
2009年7月10日(金)〜16日(木)


 高岡開町400年を記念して、戸出地区の歴史を紹介するパネル展示が催されました。

 元和3年(1917)の戸出野開きから現代まで、約400年の歴史がパネルにまとめられ永安寺本堂に展示されました。

 野開きの際に加賀藩から受けた御印状、農家の副業として発展した苧麻(ちょま)の加工など
繊維業を中心とした商工業の営み、昭和期の土地改良事業、
高岡市との合併などがパネルで紹介されました。

戸出の400年企画展入り口(永安寺)

戸出の400年企画展入り口(永安寺)

苧麻の木

 繊維業の町・戸出の始まりは、全国各地で古くから布を作るのに利用されていた「苧麻(ちょま)」でした。
苧麻は今でも戸出を流れる庄川、祖父川の川辺をはじめ
田んぼ端などにも自生しています。


苧麻はこんな葉っぱをしています。 →
(クリックで拡大します。)    →

苧麻の葉っぱ


第1部 野を開き市を立てる

戸出野開御印状

 「戸出野開御印状(といでのびらきごいんじょう)」と読み下し文。

加賀藩の横山山城守長知と本多安房守政重より、中条村(現・砺波市下中条)の
十村(とむら)川合又右衛門に宛てられた書状です。
戸出の地で野開きを行い、市立てを行って良いとする許可状です。

今回の企画展では、私たちが読みやすいようにと読み下し文がつけられました。

戸出御旅屋

戸出御旅屋(加賀藩主が鷹狩りを行った際などの休憩所)の見取図や説明文がありました。

戸出御旅屋は北は旧北陸道に面し、他の3方は川や堀に囲まれる強固な造りで
百万石のお殿様が休息されるに相応しい施設でした。

戸出が、千保川(河川が主な物資輸送ルートだった時代の庄川の本流)と
旧北陸道(当時富山県内で最も整備されていた道)とが交差する
要衝の地であったことを物語っています。

戸出御旅屋跡には、今でも前田のお殿様がお飲みになられた井戸が
「御膳水井戸(ごぜんすいいど)」として残っており、また
前田利家を弔うために植えられたといわれる高野槇の巨木が茂っています。

江戸時代、砺波郡最大の加賀藩の藩蔵であった戸出御蔵の見取図も
展示されていました。


第2部 農家の副業

苧麻の製法

 苧麻による布つくりは、はじめ戸出近郊の農家の副業として始まりました。

 その苧麻の栽培方法、利用方法などが今回展示されました。

 苧麻は成長が早いため、うまく生育されれば年に2、3回、あるいは
それ以上の刈り取りが可能だとのことです。

苧かせ(おかせ)

苧麻が持つ硬い茎の外皮を剥き、それを撚るなどの作業を行い、糸としたものが「苧かせ(おかせ)」です。

苧桶(おぼけ)など


第3部 戸出物産など 繊維の町をつくる

戸出物産など 繊維の町をつくる

 江戸時代の苧麻栽培から始まった戸出の繊維業ですが、
その後は、麻織物、綿織物、絹織物などの製造販売も行われる「繊維業の町」として
発展していきました。

 明治22(1888)年、戸出御蔵跡(現・ファミリープラザハニー跡)に
養蚕室のある「戸出物産会社」が設立されました。

 その後の明治26(1893)年、会社は「戸出物産合資会社」となり、
さらに明治29年(1896)年、「戸出物産株式会社」となりました。

これが富山県で最初の株式会社だったそうです。

戸出町は、富山県における繊維業の最先端の地でした。


現在、戸出物産小樽支店は歴史的建造物として保存され
観光施設として活用されています。


<リンク>

旧戸出物産小樽支店/現スーベニールオタルカン
(小樽観光協会HP)


スーベニールオタルカン
(北海道観光物産興社)


旧戸出物産小樽支店




高機

 産業革命後は金属製の機織機が使用されましたが、
それ以前は上下の写真のような木製の高機(たかはた)などが機織りに使用されていました。

高機

高機

 大正4年当時の柄見本です。当時流行した模様だったのでしょうか。

戸出物産 一木庵(戸出御旅屋)

 加賀藩によって建てられた戸出御旅屋ですが、
その後は戸出開祖である川合家に払い下げられました。
戸出御旅屋(川合家)の建物は、明治以降何度も所有者が変わりました。

 この写真は、戸出御旅屋(川合家)の建物を
戸出物産の社員研修用に使っていたころのものです。

 皆さん見覚えのあるこの門は「御旅屋門」です。
 当時はまだ本町(戸出町3丁目)の旧北陸道沿いに建てられていました。



第4部 町の賑わい

町の賑わい

 写真上に見える、戸出七夕まつりの写真は綺麗でした。

 写真中央は、木下屋呉服店さんで使用されていた取り扱い商品を紹介するための看板だそうです。

 その他、江戸時代から続く老舗商店が戸出町にもたくさんあるのだ、といった話を伺いました。


第5部 農業構造改革

農業構造改革


第6部 農・工・商の進展


第7部 新しい世紀 
 みんなで育てよう戸出コミュニティ 〜 生活・文化・憩いの園を

農工商の進展、戸出コミュニティ施設


 昭和40年以降に生まれた人では、戸出に住んでいながら
「なぜこの場所に戸出町ができたのか」
すらわからない人が増えてきています。

数年以内には、戸出御蔵跡に「戸出地区コミュニティ施設」が建設され、
現在の高岡市役所戸出支所の機能などが移されます。

この機会に、子供たちが気軽に地域の歴史に触れられる
「郷土資料コーナー」
を是非とも設けていただきたいと思います。



戸出町観光ボランティア申し込み



高岡市は、中心市街地と、伏木、福岡、中田、戸出などの各市街地、
そして農村部がそれぞれの歴史を持って発展してきました。


高岡市立博物館には、中心市街地の歴史については詳細な展示がなされていますが、
高岡市全域の展示内容となると充足しているとは言い難い状況ではないでしょうか。

伏木と福岡にはその地域の歴史を伝える施設があります。
ですが、中田、戸出にはそれがありません。

戸出地区が富山県内有数の繊維業の町として発展してきた歴史についても
市民は容易に知ることができないのが現状です。

また、他から訪れる観光客の方々に対しても、
魅力ある高岡市南部の歴史を説明するのに適した場所が現在ありません。


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子供から大人まで、全ての高岡市民が、
高岡市全域の歴史に触れられるようにするためにも
戸出には戸出の「郷土資料コーナー」が必要ではないでしょうか。


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1966年(昭和41年)、国内繊維業不況に伴う財政逼迫などを背景として
旧・戸出町は、高岡市と合併し共に発展していく道を選択しました。

それ以降、戸出地区の観光資源の多くは
手が付けられることなく残されてきました。


農家の納屋や、商家の蔵から機織機、農機具などの貴重な遺産が廃棄されていく前に、
また郷土に関する深い造詣を持っていらっしゃるご年配の方々がいなくなってしまう前に、
歴史を展示紹介するコーナーの設置を希望します。

「郷土資料コーナー」を設置しない(=地域の魅力、歴史的価値、高岡市の財産を放棄する)
という選択は、そのまま市の損失にもなるのではないでしょうか。

(あわせて日本一の戸出七夕について知ることのできる展示や、
 元禄年間から続けられている幌武者行列なども紹介できればなお良いと思います。)



戸出の「歴史」と「人」を、高岡市の発展に繋げていくことは
「共に発展していく道」を選択した戸出の先人たちに対する
私たちの使命でもあります。

新施設の外観を、かつてあった御蔵をイメージできるようにするだけでも
高岡市の魅力は確実に高まるでしょう。

当地方の最大御蔵であった戸出御蔵跡という
非常に歴史的意味ある地に建てられる点を最大限活かし、
高岡市の隠れた魅力を引き出していく施設となることを期待します。


<< 『戸出御蔵』についてはこちらの記事もどうぞ >>
<< 戸出御蔵跡からの馬下げ・川下げ再現イベント! >>




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<< 『まち歩き観光マップ』はこちら! >>





(おまけ1)

俳諧札

 永安寺さんでは、上のような札が見られました。

 皆さん、何だかわかりますか? カルタじゃありませんよ。

俳諧札

 これは明治20年に永安寺へ奉納された俳諧札です。

 尾崎康工以降、戸出は俳諧の盛んな地としても知られていました。

 同様の絵の入った俳諧札は、醍醐地区の神社
(油屋気比神社だったかな?)でも見られます。


(おまけ2)

苧麻そば(ゆでる前)

 今回の企画展では、南砺市城端や、新潟県小千谷市・十日町市などから
展示物をお借りしたものも多かったそうです。

そのため新潟県からは、戸出での展示の様子を確認しようと
関係者の方々が遠路はるばるお見えになられました。


<リンク>
からむし紀行(新潟県からおいでっしゃった方のブログ)



その時、お土産として持ってきて下さったのが
苧麻からつくられた「青苧そば」です。
苧麻はほうれん草と比べて約3〜3.5倍の鉄分・カリウムを含むなど、
健康的食材としても利用することができるそうです。

苧麻そば(ゆでた後)

私も少しだけ分けていただき、冷やしておいしくいただきました。

いつか、戸出で苧麻を栽培して八講布を復元してみたいと思います。

富山県は夏が暑いので、苧麻ソフトクリームなども良いかも・・・