私がサラリーマン生活を始めたのは18歳の春でした。
この時代は高度成長の時代で企業は子供の学校を卒業するのを待ちかねて、我先に自分の会社に採用したものです。
その中にあって私は身体障害者で有るため、中々採用してもらえなかった。
ある日、役所から電話で身障者を雇う会社が有るのですがどうですかと、言われて早速行ってみることにした。
この会社は従業員が100名程度で、その中に身障者が4〜5人いた。
聞いて見ると比較的障害が軽く、私だけが義足だったため、大丈夫かなと思いつつこの会社へ行くことにしました。
まず配属になった職場は羽布磨きの職場で、この作業は座り仕事で、働いて居る人も4〜5人の                 
チ―ムだ。そしてまた気の良い人達ばかりで自分でも楽しい職場だったが、この仕事も5〜6年で無くなった。

その間も会社は年を重ねる事で売上げを伸ばしつつ、従業員も100名から700名になっているため職場も大きくただただ広い。
そのため、今までは用事に行って5分で良かったものが10分〜15分もかかるようになった。
この職場に段取り係りとして、配属になった。
この広い職場を素材を持ったり部品を運んだりが私の仕事です。
初めは慣れない仕事でしたが、毎日毎日が、楽しい日々でした。
何せ職場が広い、そしてまた義足で、社内を歩き、素材を運ぶ部品を取りに行くまで
社内を1日で約5,000〜8,000歩ぐらいは歩いているけれども、義足のことなど少しも気にならなかった。
でもある日突然悲劇が起きた。この日も何時もと変わらず段取り仕事をしていると、義足の足が前に出ない。
変だ変だと思いながら仕事をしていて、次の瞬間、義足の足が前へこけた 。
見ると義足のネジが1本取れて無い。
こんな事は義足を履いて初めてだ!困っていると周りの人や上司などが、
手分けしてネジをさがしてくれ、やっとの思いで、見つかりその場はそれで事なきをえました。
良いことは長くは続かないもので、今度は夏がやってきた。
義足の足は夏に1番弱い、夏は少し仕事をしただけで汗ばむのに、全力で仕事をしている義足の足の
中は蒸し風呂だ。痛い痛い。明日は仕事を休もうと言いながらそれでも毎日毎日頑張って
仕事をしているうちに、やがて目から火の出る様な夏も終わり秋がやって来た。
すると義足の足も元気になり、前と変わらず普通に楽しく仕事ができる。自分でも不思議だ
そうこうしているうちに何年かが、過ぎて又他部署へ転属になる時がやって来た。    

すごい、作っている素材は車の内い外素品が主だから大きい、「良し頑張ってやるしかない。」で、毎日毎日を楽しく仕事をこなしていた。
ここでも良いことが続かない。あの嫌な夏がやって来た。
顔からは汗がポタポタ、義足の足の中も汗だらけ、ア-足が足が痛いと言っても素材はどんどん手元に流れてくる。
痛くても がまんがまんでやるしかないかと思って仕事をしていると、やがて、作業終了のベルが鳴る。
片付けもそこそこに、痛い足を引き摺りながら、ロッカーで義足を脱いでみると足の皮がすれて肉が見えた。
ア−痛い。こんな事はだれにも分ってもらえない。よし明日は休もうと上司に休みの届を出した。
上司はそれを見て暑いのは誰でも同じだこの忙しいのに休むのなら、ず-と夏の間家に居ろとの事だ・・・・・・・・・・
家に帰って足は痛いし自分の生活もあるし、家族の生活もある。
会社の上司に言われた言葉が耳から離れない。
この忙しいのに、義足に話し掛ける。困って困った、とにかく痛いと話し掛ける。
すると何だか『もう少しの辛抱だ。頑張れ頑張れ』と言っているようだ。
よしそれではと明朝仕事場へ行くと、上司がニコニコしながら、「おぉよく来たの!これでこそ男だ。」と
ポンと肩をひと叩き、自分でも足が痛い時は少し休め、それからまたやれば良いではないか、とにかく
今は暑いし忙しい。それに俺の立場もあるし、俺の胸の内も考えてくれョ、そうこうしているうちに
あの目から火の出る様な暑い暑い夏も過ぎようとしている。義足の足も元気を戻している。
何とも不思議なもんだ。
         こんな事が毎年毎年くりかえされる、義足の足は夏に弱い。

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