金屋町のあゆみ   マイホームタウン 新保HOUSE 

 加賀2代藩主、前田利長は慶長14年(1609)関野原(高岡)に隠居所として高岡城を築城した。
 しかし、一国一城令が出され、わずか5年で廃城となった。
 以後、高岡市は基本的には城下町の形をとってはいるものの、商工都市として発達してきた。
 金屋町はそんな高岡市の西、千保川の左岸に位置する。
 金屋町は地名が示すように鋳物業を産業としてきた町である。

 金屋町のおこりは利長が今から約400年前高岡に築城した時に城下の産業発達のため、、西部金屋から7人の鋳物師を呼び、5ヶ所の吹場(鋳造作業所)を建てて、開業させたことに始まる。
 彼らは日本の鋳物発祥地である河内丹南の流れをくむ鋳物師たちであった。
 その時、彼らに、5,000坪もの宅地(拝領地、長さ約100間、幅約50間の土地)を与え、さらに税や労役など藩の諸役を免除する特権を認め優遇したのである。
 以後、金屋町は鋳物業と共に歴史を歩んでいくのである。
 なお、金屋町が高岡城に対し、千保川を隔てた所に置かれたのは城を火災から守るためであった。
 当初金屋の産業は、鍋釜などの日用品のほか、武具、馬具、刀剣や農具など鉄鋳物が中心であった。
 廃城後、残った鋳物師たちは仏具、香炉、花瓶、装身具、火鉢など銅鋳物も手掛けるようになった。
 そして人々の生活が豊かになり、鋳物の需要が伸びてきた江戸中期以降になって、高岡鋳物の基盤ができたのである。
 そして今日では、近代的なアルミ産業の基盤として、金屋の鋳物業があるのである。
参考文献:



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