中世以来、全国の鋳物師は真継家(鋳物業の中心地、河内国丹南郡の領主。朝廷より手厚い保護を受けていた)により営業を統括され、その免許がなければ吹場(炉)を構え鋳物業に携わることができませんでした。高岡鋳物師たちは真継家の支配による座法(同業者が守るべきもっとも大切なきまり)の厳守を誓約すると同時に、代替わりには新しく免許状を願い受け、年頭や折々の礼を尽くすなど並々ならぬ心遣いをしていました。
江戸中期より後期頃には新しい技術や素材の研究・開発にも力を注ぎ、さらに販路の拡大を求めるなど不断の努力を重ね、藩政末期ごろには高岡鋳物産業は一層盛んになり、やがて明治維新の変革期を迎え、銅器鋳物産業興隆の基盤を築くことになります。

御印祭
金屋町の人々が、前田利長公に対する報恩の意をあらわすため、毎年6月19・20日に行う。金屋町鋳物師の心意気を、鋳物師の作業歌「やがえふ」の歌と踊りでつたえる街流しが見どころ。