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■ 横穴墓について(考古班 西井氏より)

 横穴墓「よこあなぼ」、「おうけつぼ」といったりしている。かつては横穴(よこあな)古墳とよばれていた。作られた時期は、だいたい7世紀の始めから7世紀の中ぐらいまでに、割と多く造られた。大まかに言うと飛鳥時代に作られたものが多い。古墳時代につづく飛鳥時代に作られた横穴墓が、金光院の裏山にある。

 ここに有るのはまだ発掘調査されていないので、いつ頃造られたものかはっきりわからない。どういう構造かということも分らない。それで、高岡市で代表的な江道(えんどう)の横穴墓について、近年調査されたなかから抜粋してコピーしたものを用意した。

 横穴墓は急斜面の崖に穴を掘って、大きさからすると一坪くらいの大きさの、四角形をしている。入口の方を羨道(せんどう)という。羨道を細く作って、奥に一坪くらいの広さの空間を掘り込んである。また、特徴的なのは、墓が一回1人だけではなく、その後も、追葬されるような使われ方をされることが多い。これまで調査されたものでは、ひとつの墓穴の中に何体も人骨が入っている例がある。

 横穴墓は、往々にして化石を含んだ砂岩とか、泥岩とか、石灰質の硬い層に掘られているので、中に埋葬されている(葬られた)方の人骨とかの残りも普通の古墳に比べたら非常に良い。

 ここは、現時点では、かなり急な斜面を上がった尾根のピーク見たいなところに3基開口しているのと、地すべり痕みたいな非常に急な斜面のところに1基開口しているのと、計4基有ることが分っている。昭和54年ごろに調査したとき前住職から、小さい頃はそこに入って遊んでいたと聞いた。ということは、開口してからかなりたつのではないだろうか。

 地形・地質的には、先に急峻な崖に多いと言ったが、地質的な内容というのは良く分らないので、地学班の方にその辺をお教えしていただきたい。砂岩のような気もするが、砂岩なのか泥岩なのか、また、鉄分の沈着した層も中に含まれている。何回も地すべりもあったということも聞いてるが、横穴墓が造ってあるところは、草も生えていない斜面にあるので、あまり変わっていないような気がする。

 今日の調査は、そこまで行くのにブッシュで、女竹だけがズッーと生えている。距離的には、150mぐらいしかない。先ず登って測量できるようにし、平板測量と、できれば横穴墓の断面とかも調査したい。夕方までは、終わると思う。

 また、4基だけでない可能性が高いと考えているので、回りの踏査をしていただきたい。

 最後に、マムシに注意し歩いていただきたい。

  【配布資料】
     高岡市史料編纂委員会1957『高岡市江道横穴古墳群調査報告書』
     高岡市教育委員会1998『江道横穴墓群調査報告』

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