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■二上山の新住居地名 ―伏木地区を例に―

富山県立志貴野高校  中 葉 博 文

1.はじめに
 大正から昭和の戦前までの間に生まれた地名を見よう。わが国の諸都市で、市街地の拡大が本格的に進展するのは明治末期以降であり、この時期に新たに命名された地名として最も多いのは、新市街地の町名や街路名である。その場合、旧来の大字名(明治二十二年以前の村名)や小字名が町名や街路名に移行することが多いが、なかには全く新たに命名されることもある。明治末から昭和戦前にかけての時期は、日本の巨大都市の周辺で、いわゆる「郊外電車」の路線がつぎつぎに整備され、その沿線に住宅地が発展し始めた時期であった。電鉄会社の開発した近代的な集団的住宅地には、美しく覚えやすい名称が付された。大阪・神戸周辺には、そのような新住宅地名が少なくない。西宮市の「甲子園」、甲子園とは野球場が完成した大正十三年が甲(きのえ)と子(ね)の年であったので、それに因んで命名された。太平洋戦争以後における日本の地名の改称や新規命名として大きなエポックであった。第一回は、昭和二十八年「町村合併推進法」にもとづく町村合併で、我が国の町村数は一挙に約5分の1に減少させ、新しい広域の市や町が生まれたが、新市町村名を決定するにあたっては、新市町村の中核となるべき中心集落が欠けていたり、また、中心集落が二つ以上あってそのいずれかの名称を新市町村名とすることがはばかられたりした場合、きわめて無難で没個性的な名称の付されることが多かった。この頃で命名の多い名付け方は、より広域の地名、すなわち旧国名・郡名や近隣大都市名などを借用した借用地名とも呼ぶものが多くなった。
 新市町村の決定に当たって「わかりやすく、読みちがいのおこらないもの」にするため、原則として当用漢字表に依拠することにしたことも、無味乾燥で没個性的な市町村名続出の一因であった。第二回 昭和三十七年に成立し、同四十二年に一部改正された「住居表示に関する法律」にもとづく町名の整理・変更都市内の町名の整理・変更の際も、「読みやすく、且つ、簡明なもの」にすることが重視されたため、結果としてやはり没個性的な地名がふえ、また町の広さを画一的な基準で区切るように定め、「○丁目○番○号」といった数字への置きかえが進んだため、古い由緒をもった幾多の地名が消失の運命をたどった。
<『歴史百科《第5号》日本地名事典』「大正・昭和の地名」浮田典良 新人物往来社(昭和54年5月)。>

※ 新住居表示に関する地名は、そこに住んでいる人や郵便局の配達担当者にとっては、わかりやすい、しかし他所から訪ねてきた者にとっては、依然わかりにくい。それはなぜなら日本の住居表示が道路方式によらず街区方式によっているためであり、また町角での地名の掲示が不足しているからである。地名や人名のような固有名詞は、本来、漢字でどう表記するかいうことによりは、どう発音するかということの方が肝要であるということが、従来よく指摘されてきた。

 今回、二上山地域伏木地区の新住居地名、中でも伏木錦町の地名を例に、「地名の大切さ」・「地名の意義」・「地名の由来とその名付け方」そして「地名の保存」について、全国的見地から比較検討しながら報告したい。 


2.新住居表示及び町村合併に関する法律の経緯
● 新住居表示とはー新住居表示制度による町名改変
 住居表示という制度は、それまで地番(土地台帳用の番号)で表記していたアドレスを一軒ごとの戸番に代えようとしたものである。地番には、明治以後百年間に飛び番、欠番、枝番が生じて不便きわまりないというので、昭和三十年代初めから促進論が盛り上がり、昭和三十七年五月に法律が制定施行され、全国七百以上の市区町村の市街地で実施されることになった。
 その結果、小さい町域、入り組んだ町界はすべて再編成され、町名も大幅な変更、新命名を余儀なくされた。戸番をふるという主目的よりも、まるで町名変更のための施策の観を呈したわけである。 新しくつけられた町名  合成地名をはじめ、やたら東西南北の符号で区分したり、城のない町に大手町、丸の内、その他文京、千代田などの東京の物真似をしたり、丘でもないのに緑ヶ丘、若葉台、そして訳のわからない抽象的地名が増加した。
 その結果、昭和四十二年八月に「住居表示に関する法律の一部を改正する法律」が議員立法で制定された。
 だが、街区方式そのものの日本の都市風土への適否が再検討されず、画一化の条項をそのまま残したために、その後も法改正前と同じく大幅な町名変更をともなう住居表示の改定が、各都市で続行された。


3.高岡市の新住居表示
● 高岡市の行政区画の変遷 
 現在の高岡市域は明治初年における射水郡内の高岡町67ヵ町と90ヵ村、および砺波郡内の104ヵ村からなっている。いずれも加賀藩所属だったが、明治4年の廃藩置県で金澤県となり、同年11月砺波郡内の村は新川県に射水郡内の高岡町と諸村は七尾県になった。翌5年9月これらの諸町村は新川県に編入、同9年4月越中全域が石川県に所属した。現在のように富山県となったのは明治16年5月以来のことである。明治22年4月の市制町村制施行で、射水郡高岡町は高岡市に、同郡内のうち、のちに当市域に入った90の村が伏木町と太田・二上・能町・守山・掛開発・西条・横田・佐野・二塚・下関・野村・牧野の12ヵ村となり、同じく砺波郡内の104か村が戸出・中田の両町と般若野・北般若・醍醐・是戸・小勢・立野・福田・東五位・石堤・国吉の10ヵ村に編入された。
 以後、大正14年に下関村、昭和3年横田・西条の両村、同8年二上村、同17年伏木町および守山・能町・野村・二塚・佐野の5ヵ村、同24年福田村、同26年牧野・国吉の両村、同28年太田・石堤・東五位の3ヵ村、同29年中田町は般若野村と、また戸出町は北般若・醍醐・是戸の3ヵ村と合併していたが、昭和41年この両町が高岡市に編入され、現在の高岡市域ができあがった。
<『角川日本地名大事典 16 富山県』「高岡市」P.1026角川書店>
● 高岡市の住居表示整備実施基準
1.基本方針
(1)市の現況からみて法第2条に定める住居表示の方法は、すべて街区方式によって行うものとする。
2.町名の定め方
(1)歴史上特に由緒あるもの、特に著名で一般に深く親しまれているもの、語調のよいもの等を選択し採用する。
(2)まぎらわしい類以のもの、名称が冗長なものは、努めて整理する。字名は使用しないものとする。
(3)あらたに町の名称をつける場合には、できるだけ当用漢字を用い、簡明にする。
(4)町の名称として丁目をつける場合には、丁目の数は4,5丁目程度にとどめること。
3.町の境界
4.街区割り
5.街区及び町の規模
6.街区符号及び丁目のつけ方
7.住居番号のつけ方
8.新住居表示のしかた
     町名  街区番号 住居番号
高岡市○○町(丁目)○番○号
 (略記する場合) 高岡市○○町(○○)−○−○とする。
9.団地における特例
10.中高層建物の場合
11.住居表示台帳
12.街区表示板

● 高岡市住居表示審議会規則
第一条 (目 的)
この規則は、附属機関に関する条例(昭和三十一年市条例第二十八号)により設置された高岡市住居表示整備審議会(以下「審議会」という。)の組織運営等について必要な事項を定めることを目的とする。
第二条 (委員)審議会の委員は、次の者のうちから市長がこれを委嘱する。
一 市議会議員
二 知識経験を有する者
三 関係行政機関の職員
四 その他、市長が特に必要と認めた者市の職員
第三条 (任期)
第四条 (組 織)
第五条 (会長及び副会長)
第六条 (会 議)
第七条 (幹 事)
第八条(細 則)
この規則に定めるもののほか、審議会の運営その他に関し、必要な事項は別に定める。

● 高岡市住居表示に関する条例が施行される
 昭和37年5月「住居表示に関する法律」ができ現在の混乱している町名や地番を全国の市街地を対象として整備することになり、高岡市も昭和40年度から実施することになった。
 この法律に定められた新しい住所はいままでの町名や、番地をもちいることをやめ「町名」「街区符号」「住居番号」で表す街区方式になりました。「街区符号」とはその町の区域内を道路、用水路などいくつかに区切りそれぞれにつけた符号です。この表では、よみかえて「番」で表しました。
「住居番号」とは街区の区域内にある住居に一定の方法によりつけた番号です。
 そこで新しい住所の表わし方は「高岡市○○町○○番○○号」
  (新町名)(街区符号)(住居番号)
となります。
 1.旧町名、番地は居住者、管理者等が通常表示しているもので不動産登記簿、その他の公簿と必ずしも一致していないいことがあります。
 2.住居番号を表示する方法として調査当日における居住者、同居者等を「表札」並びに市で作成の「住民登録簿」を参考にして「世帯主氏名」欄に掲げました。
 3.街区外の道路、鉄道沿線敷きの建物は正規の住居番号をつけられないで、その近接する街区の住居番号の“地先”で表示しました。
 4.調査の期間が長かったため、その調査(昭和41年4月現在)以後に生じた異動については補正が行はれていませんから御了承願います。略号は次のとおりです。
(株)・・・・・・株式会社 (有)・・・・・・有限会社


4.高岡市伏木地区の新住居表示について 
● 伏木地区の新住居表示に関する新聞記事
 ■ 高岡市住居表示整備審議会(吉崎矢八会長)は、第四期整備事業に取り上げた臨港地帯伏木地区の三十ヵ町(四千四百三十五世帯)を十九ヵ町に縮小する町割り、新町名を十八ごろから開く九月定例議会に提案し、十一月一日から施行する。
   同地区は三百六年前の寛文三年幕府が全国十三港の一つとして船政所を置いた古い港町。近年、日本海時代を背景にした対岸貿易の基地として港湾施設の拡充が急がれている。
   新町名は地区民の希望で伏木の旧地名がすべてについたが、旧町のまま町名が引き継がれたのは伏木湊町、伏木矢田の二ヵ町だけ。
   同市は、さる四十年度から整備事業に着手、第一次の古城公園環状部(十四ヵ町)第二次の平米・川原地区(二十二ヵ町)第三次の川原・西条・横田地区(二十三ヵ町)についで今春二月、第四期整備審議会をスタートさせ伏木・吉久地区の事業に着手した。<地方紙抜粋>

表1 昭和17年4月1日附 伏木町内会連合会

町   内   会   名   称 地    域    名
伏木町内会連合会 伏木
伏木本町第一 本町南部
〃第二 〃中部
〃第三 〃東部
伏木臥浦西部 臥浦西部
〃東部 〃東部
伏木国分 国分地内
一宮・臥浦一部
伏木新島 新島
伏木古国府下町第一 古国府下町本通り
伏木古国府駅前 駅前
伏木石坂 石坂
伏木中道 中道
伏木湊町第一 玉川
伏木玉川 湊町西部
伏木湊町第二  〃東部
伏木一宮第一 一宮西部
〃第二 〃中部
〃第三 〃東部
伏木赤坂 赤坂
伏木古国府高町第一 古国府高町南部
〃第二   〃  北部
伏木矢田第一 矢田地内南部
〃第二 矢田北部(各社宅附近)
伏木串岡 串岡
伏木古府第一 古府地内南部
〃第二   〃 中部
伏木古府第三   〃 北部
〃第四   〃 西部
伏木新町 新町
<高岡市公報より作成>(『伏木郷土史年譜』京谷準一編(株)萬印堂平成5年5月「住居表示実施」)


表2 伏木地区:小字名の廃止(※ 昭和28年11月20日附)
新    町    名 旧   地   域   名
伏木一宮 前田、九万田、谷田、大立、除具、山崎、法土寺野、窪、片原立、国分堂、五百寺、走折、大塚、桃木、熊野、小堀沢、赤坂、谷田、尻田、五平立、地蔵向、得照寺、辻川、一過寺、大門、中北、高橋、念仏谷、大北、半加、六郎丸
伏木国分 法土寺野、大門、大立、念仏谷、仏田
伏木古府 一本松、犬馬谷、美野下、東上野、水走、尻谷、干場、古苗代、国分堂、堀、山下、上野、平池、神明坂、御亭角、山姥、一本松、窪下、西、美濃下、西上野、白山、東館、川原、大塚、竹端、立石
伏木串岡 前田、上野、竹端、鍵取
伏木矢田 向手、宮下、龍田、前田、中手、東上野、大寺、窪田、窪、竹端、谷畑、大塚、上野、平田、座脇
<富山県報より作成><富山県報>

表3  昭和44年1月1日附 伏木地区新住居表示に関する法律実施以前の町名
(1886年〜1969年)

新    町    名 旧   地   域   名
伏木本町 元伏木村ノ内 元石坂新村ノ内 一宮村ノ内 元新湊古府村ノ内
伏木中道町 元新湊伏木村ノ内 元石坂新村ノ内
伏木湊町 元新湊伏木ノ内 元石坂新村ノ内
伏木臥浦町 元新湊伏木ノ内 一宮村ノ内
伏木石坂町 元新湊伏木村ノ内 元石坂新村ノ内
伏木玉川町 元新湊伏木村ノ内
伏木新町 元石坂新村ノ内 一宮村ノ内
伏木古国府町 元新湊古国府ノ内 元新湊古府村ノ内
伏木新島町 元矢田串岡新村ノ内 中伏木新村の内
伏木串岡町 元串岡村ノ内 元矢田新村ノ内
古府村 元新湊古府村ノ内 元矢田新村ノ内 元串岡村ノ内 中伏木新村ノ内

※ 近代、伏木村の分合改称について
 伏木諸村が新湊町から分離、元伏木村等が分合し、新しい町名が定められ、昭和四十四年の新住居表示実施まで、八十余年間(一八八六 ― 一九六九)この町名が公称された。


表4 伏木地区 新住居表示に関する法律による、新18町名 (昭和44年11月1日)

新    町    名 旧    町    名
伏木湊町 伏木湊町
伏木中央町 伏木玉川・伏木中道・伏木臥浦
伏木錦町 伏木石坂・伏木新町・伏木駅前
伏木磯町 石油基地港町・玉川・臥浦
伏木国分一丁目 伏木国分
伏木国分二丁目 伏木国分・伏木加古川町
伏木東一宮 伏木赤坂・伏木館ヶ丘・伏木一宮
伏木古国府 伏木新島・伏木古国府中部・伏木古国府高町
伏木一宮一丁目 伏木一宮
伏木一宮二丁目 伏木一宮・伏木緑ヶ丘
伏木矢田 伏木矢田一区
伏木矢田上町 伏木矢田二区・伏木矢田三区・伏木古府五区
伏木古府一丁目 伏木古府一区・伏木古府二区・伏木串岡
伏木古府二丁目 伏木古府二区・伏木若草町
伏木古府三丁目 伏木若草町
伏木古府元町 伏木万葉町・伏木白山町・伏木桐ヶ丘
伏木一丁目 矢田・串岡工場地帯
伏木二丁目 串岡・新島工場地帯
<市民と市政・富山新聞より作成>(『伏木郷土史年譜』京谷準一編(株)萬印堂平成5年5月「住居表示実施」)


5.伏木錦町が命名されるまでの経緯 (新住居表示 → 昭和44年11月1日施行) 
■伏木錦町
 昭和44年11月1日、直前は大字伏木石坂・伏木新町と大字伏木古国府・伏木湊町の各一部を合併。伏木地区内で、本町は西は伏木本町、北は伏木湊町、東は伏木港、南は伏木古国府に接する。
■石坂新村
▲石坂町
 伏木港に近く小矢部川右岸に位置する。
 明治19〜22年の射水郡の町名。伏木を冠称。新湊伏木村・石坂新村の各一部が合併して成立。明治22〜大正3年の伏木町の大字名。明治22〜27年は冠称。大正3年大字石坂となる。大正3年〜昭和44年の大字名。昭和17〜44年は伏木を冠称。はじめ伏木町、同17年からは高岡市の大字。同44年現行の伏木錦町の一部となる。
■石坂新  
 江戸期〜明治19年の村名。射水郡のうち。加賀藩領。宝永5年一宮村領新開分46石と古府村領新開25石をあわせ一村立てとした。明治4年伏木村・古府村・古国府門前・放生津か5ヵ村とともに新湊町を構成。明治9年石川県、同16年富山県に所属。同19年、伏木石坂町・伏木新町・伏木中道町・伏木湊町・伏木本町の各一部となる。
▲新町 
 小矢部川左岸近くの畑地や水田の造成地に位置する。
 明治19〜22年の射水郡の町名。伏木を冠称。新湊伏木村・矢田串岡新村・石坂新村・一ノ宮村の各一部が合併して成立。同年射水郡伏木町の大字となる。明治22〜昭和44の大字名。昭和17〜44年は伏木を冠称。はじめ伏木町、昭和17年からは高岡市の大字。同44年現行の伏木錦町の一部となる。
<『角川日本地名大事典 16 富山県』参考及び引用 角川書店>

6.伏木文化会の石標設置に関する取り組み
● 伏木文化会(大黒幸雄会長)の石碑設置活動
 忘れつつある古い地名を残そうと、伏木文化会では旧町名入りの石碑の設置。
 石碑は赤の御影石、会員の書家による筆。側面に各地名の簡単な説明が刻まれている。大黒会長は「由緒ある旧町名を知ることで地元への愛着を深めもらおう」大黒会長は、「今では石碑を見た若者が、お年寄りへ昔の話を聞きに行くということもあるそうですよ」と話す。「伏木の古い文化や歴史を顕彰するとともに、次世代へしっかりと伝えていきたい。石碑がその架け橋になれば。」と話していた。
 ※ (主な石碑のサイズ)
石碑の高さ約一・五メートル、幅、奥行きとも二十五aの赤の御影石。側面は町の簡単な説明が刻まれている。
※ (石碑に刻む地名由来案)
古岡英明氏に原稿を依頼し、候補を出して貰い会員で検討し、決定する。


■ 伏木文化会が設置した主な石碑
(1)旧石坂新村の石碑

(2)十間道路 ・ 旧串岡村の石碑

7.伏木旭町の地元認識
● 伏木文化会の石標が発端となり、伏木旭町自治会。
● 地名保存運動がもとで、我が町を見なおす町内会(伏木旭町)
■ 伏木旭町(自治会)の由来
戦前は、現在の臥浦自治会と旭町自治会が一つで伏木臥浦自治会であった。その後、東西に分離し、当町は臥浦西部自治会となった。戦後は、伏木旭町自治会と改名された。
臥浦町の頃は、多数の候補名の中から旭町が選ばれた。
 現在の住居表示町名は伏木本町


8.おわりに
 今回、新住居表示に関する高岡市の伏木地区を例に、全国的見地からの経緯や特色を調査した上で、伏木地区中でも伏木錦町の新住居表示に関する経緯や地元の取り組みを紹介して、地域研究の視点から二上山の新住居地名について、いくつかの私見をのべた。