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「悪王子」を知る 日吉社の悪王子〔滋賀県大津市〕

(1)日吉大社

高岡市の二上山には、山頂に鎮座の「日吉社」、万葉植物園の中に鎮座の「悪王子社」がともに、「悪王子」を祀っている。このうち、山王廿一社の下七社に「悪王子」をふくむ「日吉社」は、滋賀県大津市の「日吉大社」から勧請されたことは間違いない。日吉大社に属した中世の商人たちの一団である「日吉神人」(ひえ・じにん)たちが運んできたと考えられる。

―以下は、私のやゝ根拠の薄い「推論」に過ぎないのだが、彼らは近江の国から、日吉信仰につなげて、その「祭礼」をも持ち込んだと思われるふしがある。

―「高岡御車山」である。…ただ、論拠はたった二点しかない。

その1。高岡御車山の大きな特徴である「花傘」を用いる祭礼が、滋賀県には顕著なこと。

(a)滋賀県蒲生郡日野町の「ホイノボリ」 (b) 同大津市坂本(日吉大社)の「花渡り」

(a) 「ホイノボリ」は、日野町の近辺にいくつかある日吉神社(日吉大社の末社)などで、毎年四月の祭礼に立てられる幟(のぼり)である。高さは4〜7mもある、見事な「花傘」。神社の境内などに、2本〜22本も立つという。滋賀県の民俗無形文化財に指定されている。このような形は、高岡市民である私には奇妙な懐かしさを覚えてしまう。

(b) 四月十三日に行われる「花渡り」は、一ヶ月ほどもつづく「日吉大社」祭礼のなかの、ひとつの行事。烏帽子に鎧の可愛い「稚児」が五色の布で曳く「花傘」は、より高岡御車山に近い形の様に見える。日吉大社の権禰宜である須原紀彦さんから送って頂いた「絵巻」を眺めると、江戸時代には「花傘」はもっと枝垂(しだ)れていた。

(c) 石川県鹿島郡鳥屋町の曳山 (d)高岡御車山

(c)石川県鹿島郡鳥屋町(現・中能登町)の曳山が、やはり「花傘」である。近江(滋賀県)から伝えられたという。図書館と博物館とが同居する、同地の「ふるさと創修館」に展示してある。


その2。「二上権現祠官」であった「関」家の中興初代の名が、「与力幾宇右衛門政賢」とされていること。関家は江戸時代初期まで、二上山麓の海老坂に居住していたようである。

「二上権現」の祠官(しかん。神職)が、「与力幾」(初代・天正年中)、「与力」(二代・慶長年中)と、まるで姓か官職のように名乗っている(『射水神社志』下巻p.62)が、「よりき」と訓むのだろう。―中興というからには、「二上権現」はそれまでに衰退していたものらしい。

私はこれを、日吉大社の東本宮に建つ「十禅師社」(現在の樹下宮)に居た「寄気」(よりき)殿と深い関係があると考えている。「寄気殿」は、十禅師社の巫女(みこ)であった。関氏の出自は知らないが、少なくともそれ以前から伝えられていた「よりき」の名称をも、「中興」したに違いない。二上権現祠官は、古来「よりき(寄気)」と称されていた、と私は睨んでいる。  

この家系はしかし、三代以降は「関」氏を姓としている。のちの関野神社(通称、高の宮)の神主である。二上山を本貫とする関野神社の例大祭こそが、高岡御車山祭なのである。


以上のことから、「高岡御車山」の起源は、「前田利長」よりも古い時代、城下町の「守山町」(山町筋の守山町ではなくて、二上山麓の、万葉小学校々下の高岡市守山)で、中世以来すでに行われていた宗教的「行事」が淵源だったのだろう、と私は考えているのである。  

(2)山王廿一社(さんのう・にじゅういっしゃ)

日吉信仰を代表する「山王廿一社」(上七社・中七社・下七社)は、明治時代以前の神仏混交の時代に、ひとまとまりで「日吉社」として勧請されるのが、もっとも普通の姿であった。 

 

『耀天記』

『太平記』巻十八

「山王宮曼荼羅」



大宮

二宮

聖真子

八王子

客人

十禅師

三宮



大行事

牛御子

新行事

下八王子

早尾

王子宮

聖女



小禅師

大宮竃殿

二宮竃殿

悪王子(2)

悪王子

山末

岩滝

気比宮

新行事(3)

剣宮

 

聖真子竃殿(8)

 

その構成は、大体は左表のようなものである。

 

 

 

 

※(数字)は、『太平記』巻十八に列記されている順位。但し、下七社と称しているが、8社の名が記されている。
『太平記』二(角川文庫)P548より

全国に分布する[悪王子社]の多くは、そのうちの「下七社」の一構成員として存在しているが、時には「剣宮」と入れ替わることもある。

『天台宗全書 24 』p50

「山門堂社由緒記 巻第二」―比叡山坂本神社仏閣御由緒書

社内末社  一、悪王子 在二宮門楼外

一説 下七社 除 剣宮

加 悪王子  本地 愛染明王


平安時代に京都府から滋賀県へ招かれた「悪王子」は、この日吉社の信仰体系の中に組したあとで、いささか具体的な‘姿’と新たな‘神格’‘地位’とが与えられたようである。さらには、異なる‘呼称’までも。

(3)「悪王子」の書承

悪王子に関する記録(書承)は、日吉大社に多く残されている。

以下、晦渋でいささか判りにくいものもあるが、『神道大系‐神社編(二十九)日吉』などで目に留まった事柄と出典を列挙しよう。(疎漏があるかも知れない事を断っておきたい。)

1、神位、社位など

  1. 二宮の第三王子である‥ 「耀天記」「日吉山王利生記」など

    「耀天記」p50〜51

    一、九悪王子事

    二宮第三王子者、悪王子事也、

    ( 日吉大社は、大和の三輪神を勧請した大宮を中心として、現在の西本宮が形成される。一方、元来の地主神は二宮となり現在の東本宮を成している。悪王子神は、この東本宮の系列に属する、という意味なのだろう。)

  2. 山王廿一社のうち下七社に属す
    ‥ 「日吉山王位階形像記」「日吉山王権現知新記」「山王秘記」「山門堂舎由緒記」など

    「日吉山王位階形像記」p121

    塔本三聖惣社
    禰宜親成説云、下七社也、未有定説、中七社已下小社中人々任雅意各奉幣之、
    或記云、気比 小禅師 大宮竃殿 巌瀧 悪(アシ)王子 山末 二宮竃殿
    或云、竃殿山長(ヲサ) 吉備津宮 貴船 江(エ)比(ビ)主(ス) 客人 行事 山末

    「日吉山王権現知新記」p469
    一、下七社是異説有之云々、古註云、下七社総無位云々、猶可考訂之、
    一 小禅師、二 大宮竃殿、三 二宮竃殿、四 山末、五 巌瀧、六 金剣宮、七 気比、  行丸記、秘書記、諸社根元記等依之、 
    一説 除 小禅師、気比
        加悪王子、聖真子竃殿、 神社考依之、

    一説 除 小禅師、大宮、二宮竃殿、山末、気比
        加悪王子、新行事、牛御子、若宮、護因、諸神記依之、
        秘書記云、禰宜親成説云、下七社未有定説、中七社已下人人任雅意各奉幣之云々

    ( 下七社に属するとはいえ、上記に見えるとおり、その地位は、少なからず不安定な感じである。ときには、外される場合もあるのだから。)

  3. 二宮(東本宮のこと)楼門の前に鎮座する摂社である
    ‥ 「日吉山王権現知新記」 「山門堂舎由緒記」など

    「日吉山王権現知新記」p466
    一、二宮楼門前ノ摂社事…、悪王子本地愛染王

  4. 十禅師社(現・樹下宮)の小社
    ‥ 「耀天記」「日吉山王位階形像記」「天地神祇審鎮要記」など

    「日吉山王位階形像記」p122
    十禅師小社悪王子愛染王、門楼外…               

  5. 下八王子社(現・八柱社)と同様に扱う
    ‥ 「日吉山王権現知新記」

    「日吉山王権現知新記」p575
    一、中下七社谷々支配并二宮仕勤番次第…悪王子如下八王子
    (cf.下八王子 東塔東谷支配、二宮、十禅師宮仕勤番)

  6. 下八王子の小社である
    ‥ 「回峯手文」

    「回峯手文」(『比叡山と天台仏教の研究』p415)
    悪王子  下八王子ノ小社

  7. F、八十七末社のうちである
    ‥ 「日吉山王権現知新記」

    「日吉山王権現知新記」p469
    一、末社八十七社… 悪王子

  8. 悪王子は、スサノヲ(素戔烏尊)の荒魂(奇魂)を祀っている
    ‥「日吉社禰宜口伝抄」

    「日吉社禰宜口伝抄」p5
    (永承二年(1047)丁亥九月廿三日 無位賀茂県主元親・写)
    …悪王子社、素戔烏尊奇魂也、…


以上、簡単に列挙してみたが、「下七社」といったり「八十七末社」のうちとされていたりなど、矛盾する記述も、まゝ見受けられる。

2、仏教色

「山王」という言葉が、そもそも仏教用語なのだから、悪王子もまた、きわめて仏教色の強い神様であったものと思われる。

  1. 本地仏は愛染明王である ‥ 「日吉山王位階形像記」 「日吉行道記」「長享秘儀参社」「日吉山王権現知新記」など

    「日吉山王権現知新記」p466
      一、二宮楼門ノ前摂社事
        …、悪王子 本地 愛染王

  2. 真言は“ウン・シツチ・ソワカ”‥ 「回峯手文」

    「回峯手文」(『比叡山と天台仏教の研究』p415)
    悪王子(あし・おうじ)  “ウン・シツチ・ソワカ”

3、姿形

  1. (絵像)‥ 「日吉山王権現知新記」

    「日吉山王権現知新記」

p491
阿志王子
p499
悪王子 本地 愛染明王
  1. 赤衣、童子、持笏 ‥「日吉社神道秘密記」「日吉山王参社次第」

    「日吉山王参社次第」 p680〜681
    二宮ノ門楼東
    悪王子赤衣、童子、二宮第一((ママ))王子、持笏、 本地 愛染明王

4、名称変更

  1. 悪(あし)王子、または、愛志(あし)王子・阿志(あし)王子など

    ‥ 「厳神鈔」「日吉山王位階形像記」「日吉山王権現知新記」「日吉社神道秘密記」「日吉山王利生記」「日吉山王参社次第 私記」「回峯手文」など

    「厳神鈔」p105
    一、大塔梶井記録ノ外ニ、付山王ノ御事、相伝在之、大宮ハ天照太神、其御子
       五男三女、八王子ノ御子ト申スモノ五男ノ神也、二宮、聖眞子、八王子、
       牛御子、愛子王子已上是ナリ、次三女トハ、客人、三宮、竃御前是也,

    「天地神祇審鎮要記」慈遍・著 元弘三年(1333)
       (『神道大系』論説編(三)天台神道(上)p464 )

    悪王子冥ニ施ス利益、…
    諸障神皆為荒神、各応時宜恣ニ用名字、其名雖異其体不別、即悪王子厳神等耳、
    悪王子則有国宰相日野氏為 先祖所奉崇祭称?人神、即十禅師所摂ノ小社、本地愛染尤有其理、…、然嫌悪字有人従本謂愛王子、其愚而已、)

  2. 悪王子社は、「須賀社」と改名された‥『官幣大社日吉神社大年表』(昭和17年発行)

    『官幣大社日吉神社大年表』p304
      (明治)二(年)己巳 九、十四、
       末社ノ内、聖女社ヲ宇佐若宮、下八王子社ヲ八柱社、大行事社ヲ大物忌社、
      新行事(社)ヲ新物忌社、小禅師社ヲ樹下若宮、王子宮ヲ産屋社、悪王子社
      ヲ須賀社、祇園社ヲ八坂社、内王子社ヲ内御子社ト改称ス(一社近代編年略記)

( 明治二年(1869)九月十四日、悪王子社 は須賀社と改称された。須賀社については、日吉大社権禰宜・須原紀彦さんの御教示による。)

 

須賀社(かつての「悪王子社」)
東本宮の門楼のすぐ手前に建っている。

日吉大社の東本宮の境内、内御子社の背後に、高さ四十p程の緩(ゆる)く尖頂をなす肉厚長方の石標が建つ。表面に、「悪王子社」の刻字。社祠は無い。同社権禰宜の須原紀彦さんの話によれば、この石標は平成三年頃、とある崇敬者が「個人的に建立」なすったものなのだという。

以上のことをまとめると、大体、次のようになるだろう。

「悪王子社」は、

  1. 二宮(東本宮)に属する。   … 二宮第三王子cf.三聖…大宮・二宮・聖真子
  2. 十禅師社の摂社である。cf.十禅師社(樹下宮)…上七社
  3. 下八王子と、ほゞ同格cf.下八王子社(八柱社)…中七社
  4. 二宮の、門楼の外に建つ→ 須賀社 と改名されて、現在も鎮座する。
  5. 下七社 に配される。 が、剣宮などと入れ替わることもある。(山王二十一社)

すなわち、「山王廿一社」において「悪王子社」は「東本宮」に属し、《 二宮 > 十禅師社 > 下八王子社 ≧ 悪王子社 》
といった位置にあったと思われる。
また、「悪王子神」は、

  1. 愛染明王が、本地仏とされる。
  2. 真言は、“ウン シツチ ソワカ”である。
  3. ‘赤い衣’を着て、‘笏’を持つ。また、‘童子形’(必ずしも子供とは限らない)で表わされる。
  4. 日吉社では、悪王子を「あしおうじ」と呼び慣わして来た。 
    • cf.京都では「あくおうじ」← 元(もと)悪(あく)王(おう)子(じ)町・悪王子(あくおうじ)町;静岡県の阿幸地(あこうじ)
  5. 現在は、「須賀(すが)社」に「素盞鳴尊(スサノヲ)の荒魂(あらたま)」として祀られている。