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作品紹介 > 7.SF短編
〜 藤子・F・不二雄先生は音楽マンガ家?(その2)
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SUKOSHI・FUSHIGIな物語
前々回に引き続き、今回も音楽がらみの話題です。
前々回は、藤子・F・不二雄先生の最高傑作の一つと個人的に考えている「エスパー魔美」から2つのエピソードをご紹介しました。今回は、F先生が最も愛着を持ち、生涯にわたって描き続けられた単独のSF作品の中から、音楽が印象的に使用されている2つの作品をご紹介しましょう。
SFマンガは、藤子・F・不二雄先生が最も力を入れて取り組んだ分野でした。(生前F先生は、SFの注文だったら原稿料が只でも引き受けるとまで言われたことがあるそうです)
先生ご自身は、多分照れもあるのでしょう、ご自分のSF作品を「SCIENCE・FICTION」ではなく、「SUKOSHI・FUSHIGIな物語」のことだと定義されておられました。しかし論理性に秀で、センス・オブ・ワンダーに溢れたF作品は、言葉の純粋な意味で「SF」と形容するに相応しいのではないかと思います。その意味では、「ドラえもん」は勿論、「キテレツ大百科」も「パーマン」も、その他ほとんどすべてのF作品が網羅され、藤子・F・不二雄先生こそは、生まれながらの(ナチュラルな)SFマンガ家であったと言ってよいでしょう。
先生のSF短編集は、小学館や中央公論社などから数多く出版されているので、比較的入手しやすいのではないかと思います。傑作揃いですので、ぜひ読んでみていただきたいと思います。
最初にご紹介するのは、そんなSF短編の中でも最も印象的な作品の一つ。「老年期の終わり」です。(タイトルはアーサー・C・クラークの名作「幼年期の終わり」の捩りですが、内容には直接の関係はありません。)
2057年、異星文明との接触を求めて地球を旅立った銀河横断ロケットの搭乗者イケダは、地球から5000光年離れた銀河星雲の中心に近い星、ラグラングに不時着した。ラグラングの少女マリモの介護によって6000年間のコールドスリープから目覚めたイケダは、宿願の異種文明との接触が果たせたことを狂喜する。しかし、そこは銀河開発用基地として地球が開拓した星だった。イケダが眠ったまま宇宙を漂っていた6000年の間に地球ではワープ航法が開発され、今では60日で地球と行き来できるのだという。「ぼくの過ごした6000年は…、いったいなんだったんだ!」肉親も恋人も捨て、すべてを犠牲にした6000年の歳月の持つ意義が一瞬で無になってしまったことにイケダは絶望する。しかも、ラグラングの司書ゲヒラによると、人類は種としての老年期を迎えており、後は滅びを待つばかりなのだという。イケダは残されたわずかの可能性に賭け、マリモと共に銀河系外の宇宙へと再び旅立つのだった…。
この作品の中で印象的に流れるのが、6000年前に録音した主人公のイケダの恋人が歌う「マギー、若き日の歌を」です。この歌の原曲「Maggie」は、作中ではアメリカ民謡として紹介されていますが、元々はコニー(開拓時代アメリカに渡ったアイルランド人が創った創作歌曲)で、デ・ダナンが「スター・スパングルド・モリー」の中で取り上げ、有名になりました。歌詞は次のようなものです。
スミレはそよ風に優しく揺れて、マギー
野を魅力的に彩っていたね
私が初めてあなただけを愛していると言ったとき
あなたも私だけを愛していると言ってくれたね
栗は林で花を咲かせ、マギー
木の上ではコマドリが大きな声で囀っていたね
私が初めてあなただけを愛していると言ったとき
あなたも私だけを愛していると言ってくれたね
金色に輝くスイセンが、マギー
そよ風に葉を揺らせて踊っているよ
私が初めてあなただけを愛していると言ったとき
あなたも私だけを愛していると言ってくれたね
鳥たちは木にとまり歌を歌っていたね、マギー
ああ、鳥になれたら幸せなのにね
私が初めてあなただけを愛していると言ったとき
あなたも私だけを愛していると言ってくれたね
私たちの夢は叶わなかったね、マギー
私たちの故郷には、もう帰れないんだね
私が初めてあなただけを愛していると言ったとき
あなたも私だけを愛していると言ってくれたね
(「ゲールフォース/アイリッシュミュージックフェスティヴァル」掲載の英詞より意訳しました。)
イケダが6000年前に失った故郷を偲ぶ場面で流れるこの曲が、最後は一人ラグラングに残り、旅立つ宇宙船を見送るゲヒラのバックに流れます。原曲を知らない人でも、歌詞のイメージから十分この曲の魅力が伝わるのではないかと思います。
ところで全くの余談ですが、先に触れたCD「スター・スパングルド・モリー」の解説の中で、アイルランド音楽研究家の茂木健さんが次のような発言をしておられます。(茂木先生はひょっとして隠れ藤子ファンなのでしょうか?)
「…この「マギー」もやっぱりコニーだろうけど、藤子F不二雄(ママ)がこの曲をネタに短編を一本書いてるの、知ってる?『老年期の終わり』っていうね、グッと来る物語なんだよ。超未来の話でさ、この歌がキーになってる」(デ・ダナン/スター・スパングルド・モリー解説より引用)
さて、音楽にまつわる藤子作品。次にご紹介するのは「未来の想い出」です。
この作品は、藤子・F・不二雄先生が最後にお描きになったSF長編作です。そしてF作品中、最も自伝的要素の濃い作品でもあります。安孫子先生の「まんが道」にあたる作品を、もしF作品から求めるとしたら、間違いなく、その筆頭に来る作品であると言ってよいでしょう。
主人公は、全盛期を過ぎ、落ち目に差しかかったマンガ家、納戸理人。彼は、過去に「ざしきボーイ」という大ヒット作はあるものの、その後の劇画ブームにのって作風を変えたのが災いし、40を過ぎたばかりであるにもかかわらず、過去のマンガ化になりつつあります。ひょんなことから、自分が時間の渦に巻き込まれ、針飛びを起こしたレコードのように、同じ人生を何度も繰り返し生かされていることに気がついた納戸理人は、失われた人生を取り戻すため、未来の想い出を持ったまま、過去の自分にタイムスリップしようと試みます。納戸が取り戻したい過去…、それは、ちょっとしたすれ違いが原因で亡くしてしまった恋人、晶子を今度こそ助けることでした。かくして納戸は、自分の運命に対して壮絶な戦いを挑むことになったのでした…。
この作品で最も美しい場面は恐らく、昭和40年代の東京の街中を、ヒロインの水谷晶子が納戸の手を引きながら、「会議は踊る」の主題歌「唯ひとたびの」を歌い踊るシーンでしょう。
「会議は踊る」はトーキー初期のドイツ映画で、エリック・シャレル監督、主演はリリアン・ハーヴェイ。特に、ハーヴェイ扮する売子クリスタルが歌う「唯ひとたびの」は、初期のミュージカル映画を代表する名場面としてつとに有名です。映画のヒロインの名前、クリスタル(Kristall)は「水晶」をさすドイツ語なので、あるいは晶子の名前もここからとられたのかも知れません。
それでは、「唯ひとたびの」の歌詞をご紹介しましょう。
泣いたり笑ったり、泣いたり笑ったり
いったいどうしたことかしら
どこに行こうと、どこにいようと
誰もが私に微笑みかける
おとぎ話が本当になったみたい
唯一度だけ、二度とは来ない
素晴らしすぎて信じられないわ
まるで奇跡のように
楽園の黄金の輝きに包まれて
唯一度だけ、二度とは来ない
多分夢見ているだけなのね
人生は唯一度だけのもの
朝はすでに終わったのよ
人生は唯一度だけのもの
五月は春に一度しかないんだから
恋人達はおとぎ話を信じるものよ
愛が永遠だなんて
一度っ切りのものだと知っているくせに
別れの時がきたその時
空はもう青くはないことを
思い知ることになるのね
唯一度だけ、二度とは来ない
素晴らしすぎて信じられないくらいよ
まるで奇跡のように
楽園の黄金の輝きに包まれて
唯一度だけ、二度とは来ない
人生は唯一度だけのもの
五月は春に一度しかないんだから
(「不滅のドイツ映画主題歌曲集」(DISKPORT-SEIBU発行)掲載の歌詞より意訳しました)
リフレインの「唯ひとたび、二度とない」は、藤子・F・不二雄先生のお気に入りのフレーズでもあったのでしょうか。エスパー魔美の「恋人コレクター」の中でも使用されていますが、それはともかく、ぼくは、いつもこの作品を読み返すたびに、F先生の晩年のご病気との闘いや早すぎる死と重ね合わせ、胸が締めつけられるような思いがしてなりません。決して最高傑作とは言えませんし、すべての人に勧めもしませんが、藤子・F・不二雄先生に、少しでも関心のある者にとっては、絶対に避けて通ることのできない作品だと思います。
さて、今回は偶然にも「失ったものへの思い」をテーマにした作品が並ぶことになりました。しかし、実のところ、同様のモチーフをテーマにしたF作品が非常に(異常に?)多いのもまた事実。「ノスタル爺」をはじめとするそれらの傑作群にも、いずれスポットを当てる機会が来ることを願って本稿を終えさせていただきます。
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