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藤子まんがのルーツ「たかおか」

作品紹介 > 4.少年時代

〜 安孫子先生の夢が遂に実現 〜
映画「少年時代」誕生の軌跡

「愛蔵版 少年時代」藤子不二雄A 柏原兵三著「長い道」より 1989.8.27 初版印刷 9.5初版発行 中央公論社
昭和56年12月25日 初版1刷



藤子不二雄漫画家生活50周年記念号 「藤子不二雄 ALL WORKS」
発行 藤子不二雄ファンサークル ネオ・ユートピア
2005年6月4日初版 第1刷発行 P308・309より転載

 藤子先生は子供の頃映画少年であり、いつか自分でも映画を撮りたいという夢を持っていた。しかし映画は大勢の人の力と、莫大なお金が掛かるもの。そこでその代わりとして一人でも作れる映画、すなわち漫画の道へと進んだのだが、やはり映画作りの憧れだけはずっと持ち続けていた。それが90年に長年の夢が実現したのである。8月11日、全国東宝洋画系で『少年時代』が封切りされたのだった。
 藤子先生が『少年時代』を描いたのは78年。しかしその構想を持ったのはそれより八年前のことであった。70年、直木賞作家・柏原兵三氏の小説「長い道」を読んだ藤子先生は、自分の疎開体験と共通するこの作品に、なんともいえない衝撃と感動をおぼえて、漫画化したいと思ったという。しかしそれからすぐに柏原氏はわずか38歳の若さで亡くなられてしまった。結局柏原氏と会う機会を永久に失ってしまった藤子先生は、柏原夫人から「長い道」を漫画化する許可を得て、78年の夏から翌年の夏までの一年間、「週刊少年マガジン」に『少年時代』のタイトルで連載される事になった。予定通り一年間連載は続けられたが、連載中は読者からの反響が殆ど無かったという。だが、連載を終了した途端、読者からの投書が殺到した。この頃から、藤子先生は『少年時代』を映画化したいという夢を持ったという。それから10年の年月が経過し、その夢は実現に向けて動き出すことになった。
 藤子先生は自らプロデューサーとして積極的に行動し、面識のない篠田正浩氏に監督を引き受けてもらうことを快諾させ、更に原作付きの脚本は書かない主義であった山田太一氏まで「少年時代」の脚本を書いてもらうことに成功した。ほとんど断られるだろうと思われていたが、山田氏に「この脚本は他の誰にも渡したくない」とまで言わせたほどである。ある人物から「監督篠田正浩、脚本山田太一というなかなか実現出来ない組み合わせを実現させた安孫子さんのプロデューサーとしての能力に感服する」と賞賛されたと言うが、藤子先生のこの映画に賭ける熱意が通じたからこそ、この夢のような組み合わせが実現したと言えるだろう。また、篠田監督、山田太一氏も藤子先生と同じく疎開児童であったという点も見逃せないファクターであった。
 この映画の一番のポイントは四季折々の富山の美しい風景であった。篠田監督は藤子先生から監督要請の依頼を受けた後、富山へ行って、とある場所を探しに行った。そして入善町にある横山小学校南側の農道写真を藤子先生に見せて、監督することを承諾したという。篠田監督が言うには「昭和19年というのは映画の世界では時代劇になってしまう。それを再現できなければ、この映画は撮れない」ので、この長い道のロケ地を見つけた時は、映画が撮れる確信をもったという。他にも’87年12月のシナリオハンティングで木造校舎の大家庄小学校や進二の疎開先の武田家住宅など、当時の景色を再現するような場所を探しだし、映画『少年時代』の舞台設定は着々と出来つつあった。
 '89年7月11日には、篠山紀信氏撮影のイメージ・パネルをバックに丸の内・東京会館で製作発表が行われ、7月22日にクランクイン。その後地元富山だけでなく東京や静岡でも撮影が行われ、翌’90年4月6日には、朝日町の舟川提での撮影でクランクアップを迎える。
 『少年時代』の主題歌は、藤子先生の飲み友達というツテで井上陽水氏に依頼した。最初は藤子先生が作詞をする予定で詩を書いたのだが、結局はその詩を元に陽水氏が作詞・作曲することとなる。だが頼んでからなかなか曲は出来上がらず、完成したのは編集が終了して音入れの段階というギリギリ状態であった。こうして名曲「少年時代」が映画のラストシーンに加わり、映画は出来上がったのである。
 またこの映画のもう一つのカギは出演者の子供達の演技にもあった。主役のタケシと進二を始め、重要な役どころはほとんどが子役である。更に作品の舞台が富山ということで、地元の子供達を起用することになった。これまで本格的な演技もしたことのなかった彼らだが、1年間にわたる撮影の間に立派に成長し、難しい役回りをしっかりこなしていた。タケシ役の堀岡裕二くんは芸能界からのお誘いもあったというが、本人はあまり関心がなかったようで、この話は立ち消えとなったようだ。
 映画作りに関しては全くのシロウトであった藤子先生であったが、熱意と情熱が実を結び、映画『少年時代』という奇跡を起こしたのである。篠田監督が「この映画は作られたのではなく、生まれたのです」と語ったが、まさに藤子先生の映画に賭ける熱き想いと、それに呼応した多くの人達によって生み出された結晶が、この作品だったと言えるだろう。そして奇跡はこれだけでは終わらなかった。映画『少年時代』は「日本アカデミー賞」「ブルーリボン賞」「毎日映画コンクール」など、ほとんどの映画賞を総ナメし、この年のナンバーワン映画となった。また、香港やアメリカなど海外の映画祭にも出展し、海外でも高い評価を得たのであった。


映画『少年時代』映画賞受賞一覧

■第3回日刊スポーツ映画大賞
《作品賞》少年時代
■第33回ブルーリボン映画コンクール
《作品賞》少年時代
《監督賞》篠田正浩
■第45回毎日映画コンクール
《日本映画大賞》少年時代
《脚本賞》山田太一
《録音賞》西崎英雄(他「死の棘」)
《音楽賞》池辺晋一郎(他「夢」)
■第14回日本アカデミー賞
《最優秀作品賞》少年時代
《最優秀監督賞》篠田正浩
《最優秀脚本賞》山田太一
《最優秀美術賞》木村威夫(他「式部物語」「香港パラダイス」)
《最優秀録音賞》西崎英雄(他「死の棘」)
《最優秀音楽賞》池辺晋一郎(他「夢」「流転の海」)
《新人俳優賞》藤田哲也
■キネマ旬報読者選出邦画ベストテン第1位
■キネマ旬報批評家ベストテン第2位
■キネマ旬報読者選出日本映画監督賞
■日本映画ペンクラブ選出ベスト5第1位
■山路ふみ子賞
《特別賞》藤子不二雄
■第31回優秀映画鑑賞会選出ベスト10第1位
■全大阪映画サークル協議会ベスト10第2位
■全国映連賞(映画鑑賞団体全国連合会議)
《作品賞》少年時代
《監督賞》篠田正浩
■映画と社会心理研究会
《作品賞》少年時代
■文化庁優秀映画
《作品賞》少年時代
■藤本真澄賞
《特別賞》藤子不二雄


 本作品のために藤子先生が作詞された「少年時代」の別バージョン。

少年時代

あの日 ぼくは きみと 出会った
蒼い空の下の あの白い道の 途中で
まぶしい あこがれの 季節の さなかに
LA LA LA LA

ぼくは きみと 会い
きみとたたずみ きみと語り
きみと走り きみと立ちどまり
きみとよろこび きみと悲しみ
きみと傷つき……
そして… きみと別れた
LA LA LA LA

さよなら と いった時 ぼくの少年時代は終わった
ああ… 人は誰にも 少年時代があり
人は誰もが 大人になっていく
今ひとり なつかしむ つかの間に 過ぎていった
あの あこがれの 時よ…

さようなら ぼくの少年… さようなら きみの少年…
さようなら さようなら さようなら
NALALA NALALA
NALA LA LA LA LA



小口弘之さん、武藤晃さんをはじめとする 「藤子不二雄ファンサークル ネオ・ユートピア」のみなさんに 感謝いたします

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