カラーたかおか −高岡総天然色サイト−
カラーたかおかとは…
サイトマップ
めざせ!コロッケのまち
せんまいけ!ものづくり
ほう!高岡おう!400年
ku:taka[クウタカ]
Back to 古カラー
音楽のカリスマたち
藤子まんがのルーツ
高岡偉人伝【高人記】
深夜☆カラー特急便
Mail
更新情報
TOPへ

藤子まんがのルーツ「たかおか」

「藤子な人達@高岡」探訪記 > 1.同級生「邑本順亮さん」の巻(その1)

同級生「邑本順亮(むらもとじゅんりょう)さん」の巻(その1)

邑本順亮さん 梅雨入り宣言の声を聞いた6月のある日、我々「お話ききとり隊」は、藤子不二雄両先生の同級生、邑本順亮さんがお住いの、閑静な住宅街の一角を訪れました。どんな貴重なお話が聴けるかと高鳴る胸を押さえつつ、邑本邸へと足を運びました。
 常に穏やかな微笑を絶やさない邑本さん。そんな邑本さんの優しい人柄が反映された、心地よい居間にて足を崩させていただき、さあ、いよいよ取材の開始です。

 今回、お話をお聞きする邑本さんは、藤子不二雄先生と定塚小学校時代の同級生です。
 その当時の定塚小学校は、クラスを色別で呼んでいました。一年次は白・赤・黄の三クラス。二年次から、青色が増えて4クラスになりました。
 ちなみに、白・青は男子のみ、赤・黄は女子のみのクラス(一年次は黄色は男女混合、二年次は4クラスとも男女混合だった)で、邑本さんと藤子・F・不二雄(藤本弘)先生は、一年生の時は白組、三年〜六年は青組で一緒になりました。藤子不二雄(安孫子素雄)先生は、五年生の時に、氷見から定塚小学校の青組に転校してこられました。


小学校時代の記念写真 邑本さんたちが二年生の時に太平洋戦争が始まり、終戦を迎えられたのは六年生の時でした。苦しい時代であり、学校でも農作業がほとんどで、授業時間は非常に少なかったそうです。
 波岡の農場まで歩き、大根やジャガイモなどの栽培をしたことや、風船爆弾の材料となる丈夫な紙の製作の手伝いにかりだされたこと、定塚小学校のグラウンドが、地下水位が高くて防空壕が掘れなかったため、末広町からミカン箱に泥を入れて運び、グラウンド上に組み上げた骨組の上に泥をかぶせる作業をさせられた話など、その当時の小学校の様子をお聞きして、その頃の子供たちの大変さに思いを馳せるとともに、現在の平和の有難さをしみじみと実感しました。
 藤本先生は、病気で二週間ほど学校を休まれたことがあったそうですが、単に体の弱さのたためだけではなく、こうした過酷な労働も決して無関係ではなかったと言っておいでたそうです。

 藤本先生と同様、どちらかというと体のあまり丈夫ではなかった邑本さんたちは、「手つなぎ鬼かい」等をして遊ぶ同級生とは別に、校舎にもたれて日なたぼっこをしながら雑談していたこともよくあったそうです。内容は、読んだ本の話や空想的なことなどが多く、海野十三の「火星探検」の話をしたことなどを、特によく憶えておられました。


貴重な資料 数少ない授業の時間。藤本先生は、教室内でよくマンガを描いておられたそうです。
 なにしろ現在とは違い、マンガに対する風当たりが非常に強かった時代のこと。読んでいるマンガを取り上げられるのは日常茶飯事でした(それでも、田川水泡さんや手塚治虫さんのマンガはみんな大好きで、隠れて読んでおられたそうですが)。
 そんな中、マンガの得意だった藤本先生は、同級生のために、よくパラパラマンガを描いてくれたそうです。パラパラマンガとは、教科書の片隅に絵を描き、それをパラパラめくると、絵が動いて見える簡単なアニメーションのこと。初期の頃は、一本の矢印を、少しずつ角度を変えて描き、パラパラめくると回転して見えるという単純なものでしたが、学年が進むと、より複雑なものへと進化していったそうです。


NHKの「緑陰対談」(1979年) 高校時代以降は接点がなくなり、あまり話をする機会がなかった邑本さんと先生方ですが、東京に出てプロの漫画家になったことは、人づてに聞いておられました。
 ある日、東京の旅館で、藤子先生原作のTVアニメが放映されたのを見て、懐かしくて、すぐ藤子先生に電話をされました。それ以来、新宿のスタジオをときどき訪問するなど、幼少の頃からの旧交を暖めてこられました。NHKの「緑陰対談」(1979年)が古城公園で収録された際には、撮影終了後、同級生の何人かとともに、二上山郷土資料館で(安孫子先生は都合で先に帰られたものの)藤本先生を交えて同級会を催されたこともありました。


 F先生サイン入り色紙子供の頃に戻ったように、目を輝かせて「思い出」を語る邑本さん。とにかく「ききとり隊」にとって、驚きの話が続出で、若き日の両先生の貴重な生写真や手紙などの資料(だけでもすごいのに)、パーマンの原画、ドラえもんのサイン入り色紙など、丁寧に保存されたケースの中から(まるでドラえもんの秘密道具のように)次々と取りだされる垂涎物の「お宝」の数々に圧倒され、予定していた1時間は、あっという間に過ぎてしまいました。

F先生からのお手紙 また、二人の個性を明確に出すため、パイプとベレー帽(藤本先生)やサングラス(安孫子先生)で「演出」することにした(と話されていた)ことや、かねてから両先生どちらの作品なのか疑問をもたれていた、地場産業センターの「どんちょう」が、先生中心の創作物であると判明したことなど、「ききとり隊」にとっても発見の多いインタビューとなりました。

 終始、穏やかな口調で話を続けてくださった邑本さん。最後に、藤子マンガについてどう思うかをお伺いしました。
 「〈夢〉のあるところや、空想的なところなど、子供の頃の藤本君との思い出に直結するところが多くあり、その意味でも懐かしいですね」
 最後にそう語られた瞬間の邑本さんの眼差しは、多分、藤子先生と交流された小学生時代そのままに輝いていたように思いました。

 邑本さん、貴重なお話の数々を、本当にありがとうございました。


藤子まんがのルーツ「たかおか」のトップへ