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ある美:
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こんにちは。私は、高岡大好きな乙女、ある美といいます。今日はいろいろとお話をお聞かせください☆ |
| くに :
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ある美ちゃんはとってもかわいい女の子だねぇ。
ある美ちゃん、今日は、こちらこそよろしくお願いね。 |
| ある美: |
ありがとうございます〜!! |
| くに :
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突然だけど、ある美ちゃんは、大正時代の伏木を写真で見たことあるかな?
あの当時はね、モクモクとした工場の黒い煙と、伏木港に集まる大きな帆の船が伏木の代表的な姿だったのよ。 |
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| ある美: |
黒の煙!?今の伏木の印象は、白のモクモクなんですけど!? |
| くに : |
そうね・・白いモクモクした煙は、今の伏木を象徴する景色のひとつだと言えるわね(微笑み)
ただ、あの当時は、化学工業や機械工業をはじめ、たくさんの工場がどんどん建てられていき、伏木の光景も、今とはまた少し違ったのよ。 |
| ある美: |
そうなんですかぁ〜!? くにさん、くにさん!それはそうと、工場がいっぱいで活気があるってことは、とっても景気がいいような気がしますね〜。 |
| くに : |
あ、でもねぇある美ちゃん!!全国的にはまだまだ日本は不景気だったのよ。そういう時代背景もあって、伏木のまちには、働き口を求めて、多くの人が全国から集まってきたわ。 |
| ある美: |
ぜっ全国から?? |
(写真提供/伏木保育園)
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| くに : |
そうよ。そして働いていたのは男性ばかりじゃなく、小さな子供たちを抱えた母親もいたの。彼女たちは、少しでも生活を楽にするため、少ないお給料で、石炭を運ぶ仕事を一生懸命おこなっていたわ。 |
| ある美: |
女性ですか!?それは大変そう・・・。 |
| くに : |
とっても大変。でもね、もっとかわいそうなのは、母親が連れてきた子どもよ。
母親が働いている間、子どもたちは、石炭の山の上にほうっておかれたりしたのよ。
そりゃ、見ていて涙が出たわね。ひとりやふたりの子どもじゃない。そんな子どもたちはたくさんいたのよ。 |
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ある美: |
そっそうなんですか!!子どもたちがかわいそう・・・。 |
| くに : |
私はなんとしても、そんな子たちを救ってあげたい。暖かいところで、お母さんが帰ってくるのを待たせてあげたい。そう思って託児所を開くことを決意したの。
当時私は、伏木町の婦女会長をしていたんだけど、託児所の開設には、多くの婦女会の方々にご協力をいただいたわ。「子どもたちを助けましょう。私たちにできることがあったら、何でもします。」そんな温かい言葉をかけてくれる方もいらしたわ。 |
| ある美: |
くにさんをはじめ、婦女会のみなさんの優しく、そして温かい気持ちが、県内初の託児所を作る原動力だったんですねぇ。 |
| くに : |
あの頃は、立派な施設を作るお金なんてないものだから、伏木東一宮の念仏寺をかりて託児所をスタートさせたの。本当に懐かしい思い出よ。 |
(写真提供/伏木保育園)
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| ある美: |
なるほど〜。子どもたちを想うくにさんや婦女会の皆さんの優しさ、ある美の心に染み入ります〜。
それでは、休憩を挟んだあとは託児所をスタートした後のお話をうかがいたいと思いまーす。 |