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林 忠正〜やっパリ、ジャポニスム〜
 

 

 

正解は4.睡蓮です。
「光の画家」と呼ばれたモネは、同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作しています。彼は数々の連作を制作していますが、もっとも作品数が多く、モネの代名詞ともなっているのが1890年代から描きはじめた『睡蓮』の連作です。『睡蓮』は、自宅の庭にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上制作されています。イメージ:モネ

 



さて、忠正はヨーロッパに日本の美術を広めることに関わっただけでなく、逆に西洋の美術を日本に紹介することにも努力しました。そこには忠正が、ヨーロッパにおいて美術関係者と親交を深めていく中で感じた、日本の美術界とのある違いが大きく関係していました。

ヨーロッパの国々は自国の美術を発展させるために、日本美術のような異質の文化を進んで研究し取り入れようとします。その様子を目の当たりにし、忠正は思いました。

「ヨーロッパの美術界の動きに比べて、今の日本美術界はどうだ・・・。日本の伝統的な画法が一番だと考え、他のものを取り入れようとしない。それぞれの長所を取り入れ短所を補って、進歩し発展するようにしなければならないのに・・・。西洋の画法の長所を積極的に取り入れ新しい発展を図らねば、日本の美術界は正しい方向を見失ってしまう。」

そのような思いから、のちに「近代洋画の父」といわれた黒田清輝の才能を見出し、当時はまだフランスで法律の勉強をしていた黒田を絵の道に進むように説得したのです。黒田は忠正からさまざまな支援を受けながら、数年後には『読書』や『湖畔』などの作品が注目を浴び、日本の近代美術史に新風を吹き込みました。

読書
『読書』
(出典:「日本の名画5 黒田清輝」)
湖畔
『湖畔』
(出典:「日本の名画5 黒田清輝」)

また、印象派と呼ばれるグループをはじめ、さまざまなすぐれた洋画を日本に紹介し、西洋画の本格的な展覧会を開催しました。「日本の絵画教育にも、西洋の画法を取り入れるべきだ」と訴える運動をしたこともありました。

 

さて、ここでクエスチョン!
忠正はこれ以外にも、日本に西洋美術を取り入れるために主張したことがあります。それは何でしょう?

1.西洋美術学校の設立 2.近代美術館の設立
3.モネの講演会の開催 4.美術留学制度の設立

 
 

 


 


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