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島田孝之〜これが島田の生きる道〜
 

 

 
島田の政治活動!

ある美:

さて、青森から郷里に戻られた島田先生は、政治活動を熱心にされていますが、それはまたどうしてですか?
島田: はい。私にとって正しい政治を行うことによって、貧しい農村を救い、日本を正しい国にすることこそが、人生を懸けた目標でした。そして、青森で働いていた明治14年(1881年)に、政府が10年後に国会を開くと発表しました。
そのとき私は誓ったのです。
「地方の人々の考えをまとめ、国の政治にいかそう。政治のやり方を変えて、貧しい農村の暮らしを良くしよう。」と。
ある美:

それで、郷里に戻って、政治活動を始められたのですね。

島田: まず「北辰社(ほくしんしゃ)」という学習結社を結成しました。そして、明治15年(1882年)には同じ考えを持つ仲間とともに「越中改進党」を創りました。
ある美: 同じ考え?島田先生の考えとは、どんな考えだったのですか?
島田: 多くの人々が幸福に暮らすためには、国の基本である農業がしっかりしていないといけません。農業を支える農民の生活を守ることを考えたのです。しかし、だからといって、急激に変化するのではなく、少しずつ進展していくようにしたかったのです。
ある美: なるほど。当時は、まだ明治という新しい世の中が始まったばかりで、いろんな考えの人がいたみたいですしね。当然、過激で急激な改革を求めていた人もいたようですし。
島田: 当時は、本当にいろんな考え方の人がいました。私も、ただ越中だけにいて、世の中を広く見ずに考えていたのではいけないと思い、単身東京へも行きました。そこで、立憲改進党の創立者でもある大隈重信さんとも会いました。
ある美: 大隈重信って、あの早稲田大学の創設者の大隈重信さんですか?
島田: そうです。同じく立憲改進党の犬養毅(注)さんや尾崎行雄(注)さんらとも話し合いました。そして、同じ考えの人は協力していくべきだと考えるようになり、「越中改進党」を「立憲改進党」に合流させることに決めました。

(注)犬養毅(1855〜1932)
改進党結成に参加。第一次護憲運動で活躍。国民党、革新倶楽部の党首を経て、1929年に政友会総裁、1931年に首相。五・一五事件で殺害された。

(注)尾崎行雄(1859〜1954)
立憲改進党の創立に参加し、東京市長、文相、法相を歴任。護憲運動や普選運動の中心となって活躍し、「憲政の神様」と言われました。

ある美: また、この頃の富山県の分離独立のためにも、大いに貢献されていますね。そして、県会議員、県会議長も歴任され、地方のため、郷里のために、力を尽くしてくださっています。県会議長のときは、政府に意見を訴える代表となられたわけですが、やっぱり苦労されました?
島田: 当時は、政府に反対する人の多くが罰せられていましたから、意見を言うには相当の覚悟が必要でした。しかし、自分の身が危険だからといって、信念を曲げるわけにはいかないと思い、当時内閣総理大臣であった伊藤博文さんに富山の人々の要望を訴えたのです。
ある美: その他にも、越中の人々に政治に目を向けてもらうため、「北辰雑誌」も創刊されてますね。
島田: そうですね。やはり、中央から遠く離れた越中の人々にも世間の多くを知ってもらい、政治に目を向けてもらえば、どんどん世間は良くなると思ったのです。
ある美: これも勇気ある行動だと言われていますね。
島田: この当時は、政府によって言論や出版が妨害されていましたから、新しく政治に関する雑誌を発行して、意見を述べるのは難しいことでしたね。
ある美: 人のために、世のために、自分の信念を貫くために、危険を顧みない島田先生はかっこいいです〜☆。そして、明治23年(1890年)には衆議院議員に当選されています。このような政治活動の中で、一番心に残っているのは、どのときですか?
島田: それは・・・(言葉に詰まりながら・・・)あれは・・・明治22年(1889年)のことでした。私のこれまでの活動が認められて、宮中で行われた大日本帝国憲法発布の大典に参列させていただいたことです。あのときは、感激のあまり・・・(涙で声が・・・)
そっと、ハンカチ
ある美: 大丈夫ですか?(そっと、ハンカチ)
島田: ありがとうございます、そっと、ハンカチ。
ある美: い、いえ、どうも。大日本帝国憲法発布というと、あの歴史の教科書にも載っている、あのシーンに、島田先生が!
島田: 載ってるかもしれないですね、ははは。
ある美: ありがとうございます。
大日本帝国憲法発布のお話のときは、再び様々なことが駆け巡ったのか、涙で声が詰まっておられましたね。
それでは、次は政治以外での活躍、特に地元産業への貢献について、お伺いしていきま〜す。

「島田の地元産業への貢献!」編へ

 

 


 


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