ただいまご紹介いただきました、服部嘉十郎であります。
今日はお忙しい中、こんなに大勢の方に講演会へ足をお運びいただいき、誠にありがとうございます。
緊張しておりますので、いささかお聞き苦しい点もあるかと思いますが、その辺はご容赦いただくようお願いします。
まぁ、前触れがあまり長いといけませんので、早速本題に入りましょうかね。
えー、今回の講演会は『愛は公園を救う』と題されているわけなんですが、私はとにかくこの古城公園が大好きでして、「愛して止まない」とはこのことかと思う次第でございます。
好きが転じてなんとやらと言いますが、今回の講演では私が行った古城公園にまつわる足跡をお話させていただこうと思います。
さて、先ほど『ある美さん』からご紹介いただいた中にもありました、米が不作だった頃の話なんですが、その頃の藩の役所では、高岡城の跡地を売って、そのお金で生活が苦しい方々を救おうと決まりました。
これには私も驚いた!!もちろん私だけでなく、昔からこの城址に親しんできた多くの高岡の人々も驚かされました。
高岡城の歴史は皆さんもご存じかもしれませんが、前田利長公が隠居後住んでいた富山城が火事で焼けてしまったため、高岡にお城が築かれることとなり、1609年(慶長14年)より利長公が住まわれたのです。
ですが、なんとその僅か5年後病気のために亡くなられてしまいました。
さらに1615年(元和元年)には「一国一城令」が全国にしかれ、高岡城も取り壊されてしまいました。
かわいそうな高岡城…。
しかし!高岡の人々は、城はなくなっても利長公へのご恩は忘れません!
そんな大好きな「前田の殿様」が残してくれた城址は、春はきれいな桜並木、秋は心ときめく紅葉が、おとずれる人々の心を和ませるとても大切な場所でした。
そんな高岡城址の買い手が明治5年(1872年)に決まってしまい、城址内の木は切られ、土地は耕されることになりました。
このとき、私は考えました。
「畑にすればたしかに作物がとれるけれども、城址を取り壊してしまうと取り返しがつかない。それよりも、みんなが使える憩いの場とする方が、本当に役立つことになる。」
そして、城址売却の反対運動を行ったのであります。
奇しくもこの頃、新政府の考えにより、それまで藩が持っていたものを売ったりするのが大ブームだったため、この反対運動は大変なものでした。
しかし、この城址を買うことになっていた人々をそれぞれ訪ねて、利長公の残してくださった高岡城址の素晴らしさ、その場所を公園にしてずっと永く皆さんに親しんでもらいたいという思い、それらを穏やかに、しかし、熱心にお話をさせていただき、最後には皆さんに城址を公園にすることをご理解いただくことができたのであります。
さて、ここら辺で少し休憩をいただいて、後半では私の描いた公園の構想の話をさせていただきます。
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