| 高岡ある美(以下「ある美」): |
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みなさん、初めまして。たかおか偉人伝『高人記』の専属レポーターの「高岡 ある美」です。今日は、あの高岡城を設計した高山右近さんをゲストに迎え、今は無き高岡城の真相に迫りたいと思います。
では、高山右近さん、今日は高岡城について、いろいろとお聞かせください! |
| 高山右近(以下「右近」): |
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はい、どうぞ。何でも聞いてくださいね。 |
ある美: |
では、まずはなぜ高岡にお城を造ることになったのか。その経緯を教えてください。 |
| 右近: |
そうですね。その前に簡単に私のことをお話させてください。私は、前田利家公に招かれ、金沢におりました。利家公亡き後は、ご子息の利長公に仕えておりました。その利長公は、1605年(慶長10年)に隠居され、富山城に移られたのですが、1609年(慶長14年)、富山は大火に見舞われ、城も町も一夜にして焼け野原となったのです。利長公は魚津城に移ったのですが、富山城を再建するか、新たな城を建てるか検討なさっておりました。その検討の結果、関野――今の高岡が新天地となったのです。 |
ある美: |
なるほど。富山の火事が原因だったのですね。しかし、高岡のどのような点が城を建てるのによかったのでしょうか? |
| 右近: |
高岡は地形的にとても恵まれているのですよ。小矢部・千保・庄川の三つの川が集まっており、伏木港も近い。さらに北陸街道にも面しており、二上山など山々にも囲まれている。天然の堅固な防御地といえる、城地として絶好の地だったのです。 |
| ある美: |
はぁ〜、高岡ってそんなに素晴らしいところだったのですね。改めて、高岡のよさを実感しました。 |
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ところで、右近さんは、高槻城や金沢城の設計も手がけられ、築城の名手と呼ばれてますよね。 |
| 右近: |
いやいや、そんな名手など・・・そんなことはありませんよ(照) |
| ある美:
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またまた〜。謙虚なんだから〜、右近さんは!やはり、利長公もその腕を見込んで、高岡城の設計を任されたのでしょうね〜。 |
| 右近: |
・・・まあ、腕はともかく、キリシタンである私にも理解を示してくださる利長公が設計を任せてくださったのですから、精一杯がんばりましたよ。あ、そうそう、当時は設計のことを『縄張り』と呼んでいたのですよ。 |
| ある美: |
へぇー、今の『縄張り』とは意味がだいぶ違いますね〜。勉強になります。 |
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では、本格的に高岡城の話に入りましょう。この高岡城、ずいぶん縦長な城地となってますねぇ。しかも、東側は二重のお濠で囲まれていますが、本丸の西側は一重だけ・・・。これは、危険なのでは?なぜ、このような形に設計されたんでしょうか? |
| 右近: |
確かに、本丸の南側には二の丸、東側には三の丸と堅固な守りを敷いていますが、西側は何もないように思われますよね。しかし、実は西側は、沼地となっており、はまり込んだが最後、進退の自由を失ってしまうような難所だったのです。ですから、西側に防備を要することはなかったのです。 |
| ある美:
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素晴らしい!自然の地形を生かしながら、防御力に優れたお城を造られたのですね!!さすが右近さま!! |
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ところで、この高岡城のようなお城って、珍しいそうですね。 |
| 右近: |
そうですね。先ほど挙げましたが、私が設計した高槻城や金沢城は、もともとあったお城の輪郭に手を加えたものなのです。しかし、この高岡城に関しては、私が一から設計図を描き、工事を指揮したのです。 |
| ある美:
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ということは、高岡城は、右近さんの完全なオリジナルってことですね!!そんな貴重な高岡城――今、その雄姿を見られないのが本当に残念です・・・。 |
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さて、そんな右近さんオリジナルの高岡城ですが、完成までなんとわずか二百日余りだったとか? |
| 右近: |
ええ、利長公が急がれまして・・・。利長公は勝気で、思い立ったらすぐ行動という素晴らしい方だったのですが、少々気短かで・・・。事実、高岡城は突貫工事でしたね。石垣が崩れるなど、問題もいろいろとあり・・・。こんな短期間で城を造るなど、大変な苦労でしたよ(苦笑) |
| 前田利長(以下「利長」): |
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うーこーんー・・・。お主、そのように思っていたのか。 |
| 右近: |
えぇっ!と、利長さま!!いや、その・・・えー、うっかりと口が滑り・・・す、すみませぬ(汗) |
| 利長: |
はっはっ。冗談じゃ。気にするな。 |
| ある美: |
おっと、紹介が遅れました。特別ゲストの前田利長さまです!さっそくですが、利長さまはなぜそれほどまでに築城を急がせたのですか? |
| 利長: |
うむ。無理は重々承知だったのだが、少しでも早く高岡に移りたかったのだ。富山の火災で、ずいぶん懲りてなぁ。おぉ、そうだ。関野の地を『高岡』と名づけたのは、この私なのだ。1609年(慶長14年)、城に移るときにつけたのだ。 |
| ある美: |
まあ!では、私たちが今親しんでいる、この『高岡』という名は、利長さまあってこそだったのですね! |
| 利長: |
ところで、右近。高岡城についてだが・・・。 |
| 右近: |
ははぁ、それはですね・・・。 |
| (高岡城についての話が盛り上がる二人) |
| ある美: |
えっと・・・お二人のお話、盛り上がっているようですね・・・。では、しばしご歓談いただくとして、続きましては、高岡城の真価、そして右近さんと高岡との関わりについて、お話を伺いたいと思いまーす!! |