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ピオリアでの迫害や闘病生活といった挫折にもめげずに譲吉は研究を続け、彼は生涯で二番目の大仕事を成功させます。
それは、強力消化酵素「タカジアスターゼ」の発明です。
「ジアスターゼ」自体は明治16年(1883年)に既に発明されていましたが、譲吉はウイスキー醸造の過程の中で、さらに強力な「ジアスターゼ」を生み出す麹かびを見つけていたのです。
それをもとに譲吉は「タカジアスターゼ」を発明し、明治27年(1894年)にアメリカ政府に特許を出願しました。
発明した「タカジアスターゼ」を持って譲吉は、ミシガン州デトロイトの製薬会社、パーク・デイビス社と製造・販売契約を結び、「タカジアスターゼ」は胃腸薬として全世界に売り出されることになりました。
この胃腸薬は爆発的に売れ、この業績によって明治32年(1899年)譲吉は日本政府から工学博士号を授与されました。
さて、譲吉はこの成功をもとに、自身最も大きな業績となる「アドレナリン」の結晶化に成功するのです。
19世紀の後半、世界各地で頻発した戦争で、多くの若者が戦傷による出血性ショックで尊い命を落としていました。
副腎エキスに含まれる有効成分(後にアドレナリンと命名)には止血作用があることから、これを純粋な結晶として精製することができれば、外科医は手術に際して出血をコントロールしやすくなり、たくさんの患者の命を救うことができます。
そのため、当時、ヨーロッパとアメリカでは「アドレナリン」の結晶化にしのぎをけずっていました。
「タカジアスターゼ」で巨利をおさめたパーク・デイビス社が「アドレナリン」の結晶化を譲吉に委託してきたこともごく自然な流れでした。
譲吉は結晶精製の専門家ではありませんでしたが、分析化学者である上中啓三を共同研究者として、ニューヨークのセントラル・パーク近くにあるビルの半地下のわずか12坪あまりの薄暗い研究室で不眠不休の研究を続けた結果、ついに明治33年(1900年)にアドレナリンの結晶化に成功しました。
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