アメリカのピオリアという町にある、ウイスキー・トラスト社に誘われた譲吉は、
この夢のような話に飛びつきました。
この頃の日本は、まだまだアジアの小国に過ぎませんでした。
―そんな国の発明が、大国アメリカの企業で採用される!―
もうその希望だけで、譲吉は胸を膨らませたのです。
そして、妻のキャロラインと共に、アメリカへ渡り、実験も見事に大成功を収め、
あとはウイスキーの大量生産を待つのみとなりました。
しかし、そんなに簡単には成功しないのが、人の世。
けれども、それを乗り越えるのが、偉人が偉人と呼ばれる所以(ゆえん)。
さて、譲吉には、どんな危機が訪れたのでしょうか?
まず、ピオリアの人から多くの非難を浴びてしまいます。
譲吉の製造法によって、
「ウイスキー用の大麦を生産している農家の仕事がなくなってしまうのではないか?」
「従業員の多くがクビになってしまうのではないか?」
といった批判が、どんどん聞こえるようになりました。
そんなときでした…ウイスキー醸造工場から原因不明の火災が発生し、すべてが焼き尽くされてしまったのです。
そして、譲吉さえも肝臓病におかされ、生死の境をさまようことに…。
しかし、譲吉はひとりではありませんでした。
この最大のピンチを救ったのは、キャロラインの必死の看病でした。
そして、何とか一命を取り留めるに至りました。
しかし、トラスト社は高峰式醸造法の採用を見送り、成功への道は閉ざされました。
譲吉は、絶望します。
ですが、そこはやっぱりキャロラインです。
キャロラインは、
「あきらめてはダメ。希望を失ってはダメ。挑戦するあなたが好き。」
と励ましてくれたのです。
この励ましが効いたのか、
そんな辛い日々に、ついに光が差し、希望が輝いたのです。
「日本人化学者への非難よりも、彼に公正なチャンスを与えて、彼に何ができるかを見るべきである。」(1893年11月1日『インターオーシャン紙』)
まだアメリカの世論は完全に譲吉を見捨てた訳ではなかったのです。
そして、まだまだ日本人を対等だと思ってくれないアメリカ人と、懸命に、あきらめずに交渉を続けた結果、トラスト社は高峰式醸造法を使って工場を再開し、予想をはるかに上回る結果を得ました。
ついに、譲吉は、大国アメリカで成功を手にしたのです。
ピオリアの人は、譲吉の業績を称え『ピオリアン』と呼びました。
『ピオリアン』とはピオリア市出身者という意味です。
アメリカという国の懐の深さに感激した譲吉は、この国で生きることを決め、
そして、このあとの『アドレナリン』の発見へと繋がっていくのです。
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