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高峰譲吉〜アドレナリンを君に〜
 

 

 

高峰譲吉
高峰 譲吉
(写真提供/高岡市教育委員会)

ペリー率いる黒船が浦賀に(注1)来航し、日本中が大騒ぎをしていた安政元年(1854年)、高峰譲吉は医師・精一の長男として高岡で生まれました。父・精一が加賀藩に認められて御典医(注2)となった後、譲吉もその才能を高く評価され、加賀藩から選ばれて長崎に留学しました。欧米諸国の船が出入りし、異国の文化にあふれる貿易都市であった長崎は、譲吉少年に大きな影響を与えました。
父が医師であったことから、譲吉ははじめ西洋医学を学んでいました。しかし、西洋の理化学を学ぶ機会を得てから、譲吉はこれらの学問に興味を持ち、研究にのめりこみました。

「医者が救うのはひとりひとりの患者だが、化学は万人を救う!」

そう考えた譲吉は工部大学校(現在の東京大学工学部)の第一期生に選ばれ、明治12年(1879年)、一番の成績で卒業しました。その後国費の留学生としてイギリスに留学しました。明治17年(1884年)には、政府の事務官の一人としてアメリカの、ニューオリンズ万国博覧会を視察し、その際に知り合ったアメリカ人女性キャロライン・ヒッチと恋に落ち、婚約します。明治20年(1887年)キャロラインと正式に結婚した譲吉は人造肥料会社を設立し、そのかたわら、化学者として麦の麹を使用した醸造法の研究・開発に取り組みました。
翌年の明治21年(1888年)、それが完成し特許を得ました。さらに2年後の明治23年(1890年) 高峰式醸造法がアメリカのピオリア(注3)にあるウイスキー・トラスト社に注目されたのです。

(注1)現在の神奈川県横須賀市東部にある地域
(注2)江戸時代、幕府や大名に雇われていた医者のこと。
(注3)アメリカのイリノイ州にある地方都市。ウイスキー製造業が盛ん。


=高峰譲吉の挑戦が、はじまりました。=
 


アメリカのピオリアという町にある、ウイスキー・トラスト社に誘われた譲吉は、
この夢のような話に飛びつきました。
この頃の日本は、まだまだアジアの小国に過ぎませんでした。

―そんな国の発明が、大国アメリカの企業で採用される!―

もうその希望だけで、譲吉は胸を膨らませたのです。
そして、妻のキャロラインと共に、アメリカへ渡り、実験も見事に大成功を収め、
あとはウイスキーの大量生産を待つのみとなりました。

しかし、そんなに簡単には成功しないのが、人の世。
けれども、それを乗り越えるのが、偉人が偉人と呼ばれる所以(ゆえん)。

さて、譲吉には、どんな危機が訪れたのでしょうか?

まず、ピオリアの人から多くの非難を浴びてしまいます。
譲吉の製造法によって、

 「ウイスキー用の大麦を生産している農家の仕事がなくなってしまうのではないか?」

 「従業員の多くがクビになってしまうのではないか?」


といった批判が、どんどん聞こえるようになりました。

最大のピンチを救ったのは、キャロラインの必死の看病でしたそんなときでした…ウイスキー醸造工場から原因不明の火災が発生し、すべてが焼き尽くされてしまったのです。
そして、譲吉さえも肝臓病におかされ、生死の境をさまようことに…。
しかし、譲吉はひとりではありませんでした。
この最大のピンチを救ったのは、キャロラインの必死の看病でした。
そして、何とか一命を取り留めるに至りました。

しかし、トラスト社は高峰式醸造法の採用を見送り、成功への道は閉ざされました。
譲吉は、絶望します。
ですが、そこはやっぱりキャロラインです。
キャロラインは、
「あきらめてはダメ。希望を失ってはダメ。挑戦するあなたが好き。」
と励ましてくれたのです。

この励ましが効いたのか、
そんな辛い日々に、ついに光が差し、希望が輝いたのです。

「日本人化学者への非難よりも、彼に公正なチャンスを与えて、彼に何ができるかを見るべきである。」(1893年11月1日『インターオーシャン紙』)

まだアメリカの世論は完全に譲吉を見捨てた訳ではなかったのです。
そして、まだまだ日本人を対等だと思ってくれないアメリカ人と、懸命に、あきらめずに交渉を続けた結果、トラスト社は高峰式醸造法を使って工場を再開し、予想をはるかに上回る結果を得ました。
ついに、譲吉は、大国アメリカで成功を手にしたのです。

ピオリアの人は、譲吉の業績を称え『ピオリアン』と呼びました。
『ピオリアン』とはピオリア市出身者という意味です。
アメリカという国の懐の深さに感激した譲吉は、この国で生きることを決め、
そして、このあとの『アドレナリン』の発見へと繋がっていくのです。

 

さて、ここでクエスチョン!
譲吉が苦難の末、その製造方法がアメリカの企業で採用されたウイスキーですが、その名前はゲール語の「uisce beatha(ウィシュケ・ベァハ)」に由来するのですが、 その意味は何でしょう?

1.琥珀の吐息 2.火の酒
3.命の水 4.情熱の響

 
 

 


 


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