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藤井能三〜学校をつくろう〜
 

 

 

 頃は明治初期。日本で最初に学校制度を定めた教育法令である『学制』が明治5年発布され、日本全国に学校が置かれることとなりました。

 その頃、その後の高岡において重大な出来事を起こす志高き若者が、伏木村(現在の高岡市伏木)の地にいました。彼の名前は『藤井能三』。能三は伏木出身の廻船問屋の長男として生まれ、19歳にして父から家業を継いでいました。

 明治初期の日本は激動の時代。仕事で神戸に来た能三は、汽船が走り世界を相手に貿易を行っている神戸港のにぎわいを目の当たりにし、日本の大きな変化を体で感じていました。そして伏木に帰ってきた能三は・・・

藤井能三(写真)
藤井 能三
(写真提供/高岡市教育委員会)
ここからは能三さんの視点で、伏木ににぎわいをもたらすため彼が行った偉業を体感して下さい。

あぁ、このままでは伏木は新しい時代に乗り遅れてしまう・・・。 明治5年(1872年)、久しぶりに郷里の伏木に戻ってきた能三は、ふるさとの港を見て、大きなショックを受けました。近代的な汽船でにぎわう神戸港を見てきた能三にとって、昔ながらの和船しか入港できない伏木の港は、さびしく取り残されるように思えたのです。
能三: あぁ、このままでは伏木は新しい時代に乗り遅れてしまう・・・。あの神戸港のようなにぎわいを伏木にも・・・。そうだ!汽船も入港できるような伏木港を造ろう!!そうすれば、貿易も盛んになり、村も活気付くはずだ!!

  −能三はさっそく、村の人々に汽船が入れる伏木港の開港を訴えました−
 
能三: 汽船が入るようになれば、今までよりずっと早く貿易もできるんだ!そうすれば、会社や工場も出来て、この伏木にも新しい時代がやってくると思うんだ!!
村人A: 汽船が入れるようになんて・・・まず、その港を造るのに莫大な費用もかかるし、夢のような話だな。
廻船問屋: おいおい、そんなことしたら、わしらの仕事がなくなっちまうじゃないか!
村人B: おーい、みんな、こんなやつの話なんて聞いててもしょうがねぇや。帰ろう、帰ろう!

 −しかし、能三の思いは村の人には、まったく理解されず、相手にされませんでした−
 
能三: みんな、もっと伏木の将来を考えないといけないのに・・・。なぜ、分かってくれないんだろう・・・。

 −途方にくれ、ぼんやり港を見つめる能三の目に、ある光景が映りました−
 
漁師の母: こらっ!伏太郎、伏次郎!!また、こんなとこで遊んで!父ちゃんも母ちゃんも仕事が忙しいんだから、手伝いなさい!
伏次郎: ・・・はーい。はぁ、もっと遊びたいなぁ・・・
伏太郎: うん、でもうちは貧しいから、しょうがないよ。さ、行くぞ。
能三: 遊びたいのに、家の手伝いか。えらい子たちだ。・・・ん!そうか!子どもたちだ!!これからの時代を生きていくのは彼らなんだ!!

子どもたちに伏木の未来を見出した能三。さて、あなたが能三さんならどうする?

 

 

 


 


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