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高岡のまちなかをいい気分で闊歩しておると、突如出現した巨大仏像!
よくよく見てみれば、なぬっ!?こんなところに「大仏」とな!
しかも「日本三大仏 高岡大仏」とあるじゃないか。
ここで「どこが日本三大仏じゃい!」っと突っ込むのは、"OH!MY BUDDHA!"
ここいらじゃ有名な話なので、
「さては御仁、モグリじゃな?」といわれること必至。
もし貴方が、さりげなくモダンな高岡シティボーイ&ガールを気取るのなら、こういう会話がいいかもしれない。
日常会話における「高岡大仏」の使用例@
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「日本三大仏の高岡大仏、今日も緑がまぶしいわ!螺ホツがキュ〜ト!」
「ホント、さすが日本三大仏っ!まいっちゃうね。でも君の緑の黒髪には・・・かなーないけどさ。」
「・・・んまあ、義男さんったら。おジョーズなことっ!あなたも高岡大仏に勝るとも劣らない男前よっ」
「ひ、ひろこさ〜ん!」
「よ・し・お」
「ひ・ろ・こ」
「義男ーっ!」
「ひろこーっ!」
ガシッ!・・・
はたまた、こんな会話もオススメしよう。
日常会話における「高岡大仏」の使用例A
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「最近、体鍛えてるんす。」
「お?そういえば胸板が厚くなったような・・・」
「そう、俺めざしてんですよ、高岡大仏。あのビッグな奴をね・・・。」
と、言うふうに、日常会話の中にさりげなく大仏を交えるのが、ハイカラなセンスを際立たせるポイントである。
なんてったってあなた、「日本三大仏 高岡大仏ですから」。
そう、「日本三大仏 高岡大仏ですから」
「日本三大仏 高岡大仏ですから」
「日本三大仏 高岡大仏ですから〜」
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・・・「三大仏」というが、日本人は昔っから「日本三景」「日本三名園」「日本三大奇祭」など、3つのものを並べて「日本三○○」と並べ称するのが好き。大仏もまた然り。
三大仏として日本大仏界トップシーンを行くのは、奈良・平城京の大仏、「東大寺の毘盧舎那(びるしゃな)仏」と、武家のトレンド鎌倉の大仏「高徳寺の阿弥陀如来」。いずれも日本全国共通で不動の1,2位となっておるだろう。が、しかし、それに肩を並べるもう1体・・・となると、日本三大仏の座をねらう大仏様たちがたくさん控えておる。そのなかでも有力な地位を占めておるのが、そう、銅器のまち高岡の大仏「鳳徳山大仏寺の阿弥陀如来」だ。
そこで以下の仮説をたて、何ゆえに高岡大仏が日本三大仏といわれるのか、どのへんが日本で3本指に入るのか、を調査し分析してみようというわけである。 |
・仮説1:大きさ編
・仮説2:移動距離編
・仮説3:顔編
・仮説4:哀愁編
・結論
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○大きさ編〜Bigな奴は誰!?〜
さて、大仏とはそもそも釈迦の身長=1丈6尺(約4.8メートル)以上の大きな仏像のことらしい。
総高、15.85m、座高7.43mの高岡大仏は、大仏の身長制限を軽くクリアしておるではないか。
ならば、大きさ検証をしてみよう。奈良の大仏と鎌倉の大仏、我等が高岡大仏の背比べを、いざ決行。さて、体格差はいかほどか? |
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これはよい勝負!総高だけで比較すれば高岡大仏は 鎌倉の大仏に勝っておる。はやくも高岡大仏が大きさで三大仏であるという仮説が実証されたのではないか?
(人生こんなトントン拍子でよいのだろうか!)
むっ!なになに、茨城に東大寺の大仏が手のひらに乗っちゃうようなギネスブック認定の巨大仏あるとの情報を入手となっ。
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こ、これは巨大、大仏界のガリバー船長だろうか。(120m)圧巻だ。
どうやら、大きさで三大仏という仮説は立証できなかったようだ。
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ところで、こんな大きな大仏たちだが、その出身地ははるか天竺である。
○移動距離編〜天竺までの道のりは!?〜
"日本"三大仏たちは日本を飛び出して、仏教発祥の地である天竺までの距離を比較してみよう!釈迦が生まれたのはヒマラヤ山麓あたり、
そこから近い順に三大仏かもしれん。磁石と同じで、本場に近い程ご利益が強いのかもしれんしの。
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行程や、ルートはまるきり無視して、天竺は釈迦誕生の地からの直線距離を測ってみたが・・・。
(実測!)
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奈良まで(5.0cm)鎌倉まで(5.4cm)高岡大仏まで(5.1cm)
おっ!0.1cm奈良に肉薄!おしーっ!!
しかし、まぁ、おそらくご利益はどの大仏様も変わらんだろうて。
ということで、2番目の仮説も立証できんだわい。
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ではなぜ!!!?どこが三大仏なのだ〜!?
はっ!と、冒頭のカップルの会話を思い出す・・・。
「らほつがキュート 」
ではなく、「男前 」 !
ニヤーリ!きました、きましたぞ〜っ!世の乙女達!期待大ですぞ〜!

○顔編〜日本美形大仏!?〜
かの情熱の歌人与謝野晶子が鎌倉の大仏のことを「仏だけど美男!」と詠んだことは有名だが、高岡大仏を訪れた際に、「鎌倉の大仏さんより男前!」と感嘆の声を上げたそうな。
確かに顔立ちが整っている高岡大仏たが、与謝野晶子のお墨付きとは恐れ入った!
高岡大仏の原型は当時27才の新進気鋭、中野双山という若い地元のアーティストが作ったそうだ。若人万歳!
どうだ!高岡大仏日本美形大仏説!比較〜!
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勝った。。 勝ってしまった。。高岡大仏ダントツ1位 ではないですか!?と言ったら怒られるかもしれんが、
美感は主観なのだ!眉目秀麗とはこのことですぞ〜!!
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集え!乙女達よ☆共に黄色い声で騒ごうではないか!(きゃー!大仏様―!こっち向いて〜**!)
奈良、鎌倉より美形!ならば、確実に3本の指に入るに違いない。・・・ しかし、主観が大いに影響しているので、押しに欠けるのう。 |
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ところで、高岡大仏は四季折々の表情を五感に訴えてくれる。
春の陽光を浴びて新緑色に輝き、夏はギラギラ太陽を反射する緑を拝みつつ抹茶ソフトの冷たさに舌鼓、秋は夕日に映える緑をバックに鐘の音に心を静め、冬は雪が全てを包み我らが高岡大仏もシャンプー大仏。
いやはや、初デートの記念に大仏をバックにパチリ、なぞいかがかな?
しかしまたれ〜い!!シャンプー大仏とは・・・なんとも寒々しい(?)御姿ではないか!
そう、高岡大仏は大仏殿無き、まさに家無き大仏(子)だったのだ!
○哀愁編〜雨にも負けず〜
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ビルシャナなんて名前からして大仏界のセレブっぽい奈良の大仏は、ご覧の通りの大きなお宅に住んでいらっしゃる。鎌倉の大仏は大仏殿を津波で流されてしまったそうだが、柱跡から立派であったことが推測される。それに引き換え、高岡の大仏は、大仏殿を作った形跡がない!家がない!まさに野ざらしを前提に作られた大仏様なのだ!哀愁を帯びた背中が語っておる。
まさに哀愁bP!
しかしだ!屋根が無くても耐えられるのは、とにもかくにも高岡大仏が頑丈な青銅製であるからで、これが木造やら張りぼてだったりした日には、とっくに朽ち果てておる。
ところが、高岡大仏は始めから青銅製の頑丈大仏だったのではない。現在の場所に造られた当初は木造だったのだ。しかし2度も火災で燃えてしまい、そのたびに時代時代の市民が私財を投げうって再建し、最後には、もう二度と燃えぬようにとの祈願から!総重量65トンの銅でもって不燃の青銅製の大仏をこしらえたのだ。当時の技術から考えても相当な大金がつぎ込まれたはず。
奈良の大仏が国家事業、鎌倉の大仏も定かではないが幕府の強力な援助があったはずと考えれば、高岡の大仏は、町衆から生まれた、まさに町衆の町衆による町衆のための大仏なのである。ご近所の底力である。
ちなみに、2度目の火災で焼け残った、先代高岡大仏の頭部は、現大仏の台座下回廊のなかに、防火祈願として安置されておる。頭部だけとはいえその存在感は、現大仏に勝るとも劣らずで、火の恐ろしさを戒めているのか、その迫力にちびっこの頃は直視できんかったものじゃ。
雨風雷雪にも耐え黙って人々を見守る哀愁の高岡大仏は、実は、転んでもただでは起きず不燃の青銅大仏にグレードUPして帰ってくる、健気で強かな高岡の町衆の魂そのものともいえるのではないか〜。
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○結論
町衆の燃える情熱の中から、不死鳥フェニックスのように見事復活を果たした大仏は、高岡鋳造技術と高岡商人の意地とプライド、そして限りない愛の結晶なのじゃ〜。
町衆に愛され度は、日本3本の指にはいるのではなかろうかの〜。
どうじゃ〜
それに、奈良、鎌倉は言ってないけど、高岡大仏は「日本三大仏 高岡大仏」って名乗っちゃってるもんね。言った者勝ちじゃ〜♪にょっほっほー!
大仏は一日にして成らず
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